Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • [No Tag]

新選組ゆかりの地巡り・京都編(其ノ弐)

4月15日付の記事「新選組ゆかりの地巡り・京都編(其ノ壱)」の続きです。

4月15日付の記事の繰り返しになりますが…
4月8日(土)に日帰りで京都に行って、新選組ゆかりの地を巡りました。

不動堂村→七条油小路→西本願寺→島原→(四条大宮で昼食)→壬生→霊山歴史館→三条池田屋跡
このルートをほぼ徒歩で巡りました。

4月15日付の記事「新選組ゆかりの地巡り・京都編(其ノ壱)」には午前中に巡った不動堂村→七条油小路→西本願寺→島原まで書きました。

さて本題に入ります。
四条大宮の喫茶店でお昼を食べた後、壬生に行きました。
壬生は新選組が屯所を置いていた頃は田畑が広がる洛外の村だったそうですが、今は住宅地になっています。

mibudera.JPGまず、壬生寺に行ってみました。わたしたちが着いた時はちょうど、花祭りが始まるところで、壬生寺が運営している保育園と老人ホームの人たちが境内に集まっていました。
お釈迦様の誕生日を祝う歌(があるんですね)を歌う園児の姿を見て、壬生寺の境内で沖田総司が子供たちと遊んだエピソードを思い出さずにはいられませんでした。
境内は新選組が武術や馬術や砲撃の訓練をしたというのが納得の広さでした。

花祭りを横目に、わたしと弟は壬生塚に入りました。ここに新選組ゆかりの墓や碑が立っています。どうやら写真撮影禁止のようだったので、ここでは写真を撮っていません。
わたしがこれまでに参拝した新選組ゆかりの人たちの墓はどれもきちんと花が供えられていたのに(清川八郎の墓にも)、壬生塚の芹沢鴨と平山五郎の連名の墓には何もお供えがなく、可哀そうに思えました。
わたしは彼らの墓にもきちんと手を合わせてきました。
近藤勇の像を見るのはここで3か所目です。(1度目は板橋、2度目は調布の郷土博物館)三鷹の菩提寺にも勇さんの像があるそうです。
それから、阿弥陀堂の地下の歴史資料室に入ってみました。
「組!」のオープニングで使われていた壬生寺の版画の原画や、新選組が渋寺でも迷惑をかけていた(汗)旨の史料や、壬生狂言の仮面に見入りました。
昔から受け継がれている壬生狂言はぜひ見てみたいです。
今度、京都に行くとしたら、秋に壬生狂言が公開される頃でしょうか。

それから、八木邸に行きました。yagitei.JPG
京都新選組最後の屯所・不動堂村屯所(跡)、二番目の屯所・西本願寺を経て、最初の屯所にようやくたどり着きました。
京都随一の新選組スポットだけあって、結構人が来ていました。
ここでも島原の角屋と同じく、訪問者が一部屋に集まりガイドさんの説明に耳を傾けました。
その部屋こそ、角屋での宴の後、芹沢鴨と彼の一派が暗殺された部屋でした!
ここで芹沢派はあの人たちに殺されてしまったのか…と新選組の歴史における大事件(当時はシークレットでしたが)があった場所に今、自分が座っていることにドキドキしました。
ざっと見た限り、わたしと弟も含めて20人近くがこの部屋で話を聞いていたので、部屋が狭く感じられました。
でも、この部屋は十畳間で、芹沢鴨たちが暗殺された時は男女合わせて6人寝ていたそうなので、そんなものかなと思いました。
八木邸はガイドさんが案内する部屋(上記の部屋と隣の八木家の子供たちが寝ていた部屋)しか見られないので、母屋の広さが体感できなくてちょっと残念でした。
その点、日野宿本陣はガイドさんの説明の後、自由に中を見学できるのでうれしかったです。

芹沢鴨は角屋でも八木邸でもガイドさんに「文武両道」と評されていました。
彼は小説やマンガだと粗暴なイメージが強いですが(汗)「組!」の佐/藤/浩/市さん演じる芹沢鴨なら「文武両道」と評されても納得です。
わたしたちは、芹沢たちが暗殺される前に宴会した角屋に行き、壬生寺で芹沢鴨と平山五郎の墓参りをして、それから暗殺された場所に行ったので、これでは「鴨ツアー」だと言ってました。

八木邸を見学した後は、門前にある「京都鶴屋」でお抹茶と屯所餠を頂きました。
4年前に京都を訪れた時にもお抹茶を頂く機会がありましたが、まさか新選組ゆかりの地で頂くことになろうとは…
ここにはまだ「組!」のポスターが何枚も貼ってあって、まだまだ大河の余韻が残っていました。
弟が勤務先にお菓子を買っていきたいというので、ここで買えばと言ったら、弟にとっては予算オーバーだったらしく(苦笑)買いませんでした。


maekawatei.jpgそれから八木邸の向いの前川邸に行きました。
実質的には前川邸が京都新選組最初の屯所でした。間取り図を見ると、八木邸よりもずっと広いです。
ここの内部は一般公開されていませんが、週末だけ一部が新選組グッズショップとして開放されています。
わたしはここで、先月、東京23区内新選組ゆかりの地めぐりの時に、Oさんから見せていただいたシールつき京都新選組マップと、前川邸のポストカードを買いました。
ショップのショーウィンドウの中に山本副長のサイン入りの「組!」の台本を見つけて、ちょっとうれしかったです。
前川邸はショップの部分からも塀の外側の道からも建物があまり見えず、ガードが固かったので、八木邸のように一部でもいいので一般公開してほしいと思いました。



山南さんのお墓がある光縁寺の前を通って、阪急電車の大宮駅まで行きました。
本当は山南さんのお墓にも手を合わせたかったですが、これから東山の霊山歴史館に行くので時間がなかったのと、お寺の門前に参拝ならしてもいいが、ただの見学はダメという内容の掲示があり、入りづらい雰囲気を感じたので、今回は光縁寺に詣でるのはやめました。

大宮駅から阪急電車に乗って、終点の河原町駅まで行きました。
東京在住のわたしは、チョコレート色の阪急電車に乗ると関西に来たな~と実感します。
河原町駅から地上に出ると、四条通は人であふれかえっていました。
4年前のGWに京都に来た時も四条通は人で混雑していましたが、今日はその時の比でない混み様でした。
弟と「渋谷より混んでいるよ…」と顔を見合わせました。
霊山歴史館の入館時間は午後4時までですが、河原町に着いた時は午後3時40分を回っていました。
河原町から霊山歴史館まで歩いて20分とのことでしたが、この人ごみをぬって歩いて4時までに着けるとは思えない…と弱気になっていたら、弟が「とにかく行ってみよう」と言ったので、弟の後をついて行きました。
何とか四条通を脱出し、八坂神社の前の交差点を右折して、東大路通に入ったら人が一気に減ったので走りました(笑)
そして霊山歴史館に至る道にたどり着いたはいいんですが、何とこの道はかなり急な上り坂でした(爆)
坂本龍馬をはじめとする維新志士たちの墓所が山の上にあるのは知っていましたが、歴史館自体も山の上にあるとは…^^;
最後にこんな急坂を上がるなんて、まるで罰ゲームみたい!と半泣き状態で坂を駆け上りました。日頃運動不足のわたしには急坂駆け上りは大変堪えました(苦笑)
わたしの先を走っていた弟が歴史館に滑り込み入場できたので、わたしも入場することができました。
ryozen.JPG霊山歴史館では春の特別展として「吉田松陰と幕末の英雄」が開催されていました。
展示品の内容は当然ながら長州中心なので、佐幕派びいきのわたしにはグッと来ませんでしたが(汗)、展示の所々に掲げられていた吉田松陰の言葉はどれも人生の指標になるものばかりでした。
今でも吉田松陰を尊敬する人が多いのに納得できました。
また、吉田松陰は29歳で亡くなったにもかかわらず、残されている肖像画が老け顔に描かれているので、もっと年かさな印象がありました。
でも、ここで展示されていた吉田松陰の木像はちゃんと年相応の顔と容姿になっていました。
わたしが住んでいる区内に吉田松陰を祭った神社があるので、そのうち行こうと思いました。
でも、京都市内を歩き回ってから、霊山歴史館までの急坂を駆け上ったのでくたびれ果てた状態で入場時間ギリギリに入場したので、じっくりと展示を楽しむ余裕(肉体的にも精神的にも)がなかったのが本当のところです。
京都を再訪する時は、じっくり霊山歴史館を見学しようと心に誓いました。

それでも展示を一通り見終わった後に、歳さんの等身大(!)パネルと一緒に記念撮影しました(笑)
このパネルには歳さんの推定身長が163(164?)cmとキャプションがありましたが、歳さんの某伝記には彼の身長が167cmと載っていたので、どちらが本当なんだろう?と思いました。
どちらにしても、わたしより歳さんの方が背が高いですが、個人的には167cmであってほしいです。
歳さんの他に、坂本龍馬と徳川慶喜の等身大パネルがありましたが、慶喜の身長は150cmちょっとしかなかったそうです。
和服の写真だと小柄なのが目立ちませんが、ナポレオン3世から送られたフランスの軍服を着た写真を見ると小柄なのがバレバレですね…^^;

それから下界に戻って(笑)、三条の池田屋跡を目指しました。
途中、祇園のメインストリートを通りましたが、こちらも四条通に負けず劣らずの人出でした。
「都をどり」のポスターがあちこちに貼られていて、一度は観てみたいなぁと思いました。
四条から三条までは普通の通りでなく、鴨川の川原を歩きました。ぐっと人も少なく、自分のペースで歩くことができました。
どうやらここは以前「名探偵コ○ン」の映画に登場したらしく、「コナ○」ファンの弟にはツボだったようです。

ikedaya.JPG池田屋跡は三条大橋の西詰から、三条通を5分くらい西に歩いたところにありました。この辺りはハッキリ言って京都らしい風情のない、にぎやかな繁華街です。
話には聞いていましたが、今はパチンコ(正確にはパチスロ)店になっていました(苦笑)
それでも店の前には池田屋事件についての案内板が立っていましたが…ここはとても人通りが多く、池田屋事件を偲ぶ余裕がありませんでした。

本当はこの後、別行動を取っていた母と平安神宮で待ち合わせて「紅しだれコンサート」を見る予定でしたが、あまりにも疲れていたのと、道路が渋滞しているため、コンサートが終わった後に帰りの新幹線の時間に間に合うように京都駅に戻れるとは思えなかったので、コンサートは断念して、母とは京都駅で合流することにしました。
それから、三条大橋の西詰にある京都では有名な喫茶店に入りました。
カウンター席に通されましたが、バリスタの男性がわたしの好きな俳優さんにそっくりで目がハートになりました(笑) 彼の仕事ぶりを見ていると、歩き疲れが癒されました。(どうやら彼はその筋では有名なバリスタだそう)

散々歩き回ったというのに、最後に河原町の坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋跡に行きました。ここも池田屋跡と同じく、当時を偲ぶものは何一つありませんでした。(京都でもこんな状況なんですね^^;)
河原町は三条以上に大きな繁華街で(デパートもいくつかあります)、今の河原町界隈の賑わいを、龍馬と慎太郎は冥界からどんな思いで見ているのでしょうか…

こうして、わたしの4年ぶりの新選組一色の京都旅行は終わりました。
日帰りでしたが、とても濃い内容だったと我ながら思います。
でも、時間の都合で行くのを断念したり、行き損ねた場所があれこれあったので、秋の壬生狂言の開催に合わせて京都を再訪したいです。
  • [No Tag]

*Comment

コメントの投稿

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

*Trackback

トラックバックURL
http://regimenth.blog55.fc2.com/tb.php/9-449b9fcf

ご案内

プロフィール

まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

もし記事の内容に間違いを見つけましたら、鍵付コメントか下のメールフォームにてご指摘ください。
本文に全く関係のないコメント・トラバは見つけ次第即削除します。
WEB拍手のコメント返しは、拍手をいただいた記事につけます。

結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

ブログランキングに参加中!

↓一日一押しお願いします♪

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ

日々のつぶやき

最近の記事

月別アーカイブ

西暦をクリックすると、その年の月別リストが表示されます。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。