Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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多摩今昔

今週から社会復帰への準備を始めて、久しぶりに色々な会社に行ったので神経が少々疲れ気味です。

その前に、京都から帰ってきて間もないにもかかわらず、先週の日曜日(10月15日に)に小島資料館に行ってきました。
小島資料館入口

多摩における新選組ゆかりの地のほとんどが甲州街道周辺に点在している中で、小野路の小島資料館だけはかなり離れているので、遠い印象がありましたが、実際に足を運んでみて案外近く感じました。
自宅の最寄り駅から京王線快速で多摩センター駅まで約30分、多摩センター駅から鶴川駅行きのバスで小島資料館まで10分ちょっとでした。
でも、路線バスに乗り慣れていないわたしは初歩的なミスを犯してしまいました(大汗)

「新選組ミニガイド」に小野路を通るバスの本数が少ないと載っていたので、バス会社(神奈川中央交通)のサイトで時刻表をチェックしましたが、出発・到着地が同じでも小野路を通らない別ルートの時刻表をメモしてしまったのです。
多摩センター駅前のバスロータリーで、自分が乗る予定のバスのルートを再度確認すればよかったのでしょうが、それを怠ってしまいました。
バスに乗って料金を払う前に運転手に行き先を告げた時に、このバスは小野路を通らないと言われ、やっと自分の間違いに気づきました(爆)
でも、乗りたいバスはすでに出発した後だったので、近くのショッピングセンターでしばらく時間をつぶすハメになりました。
ここで時間をロスしてしまったので、後で予定が狂ってしまいました(泣)
多摩センター駅~鶴川駅の神奈中バスは路線が2つありますが、小野路を通るのは系統番号「鶴32」のバスなので、これから小島資料館に行かれる方はご注意ください。

やたらと前置きが長くなりましたが…やっとバスに乗って、小野路に向かいましたが、途中でバス道路が急に細くなりました。
多摩センター駅周辺の道路は広いのに、町田市に入ると急に道幅が狭くなるのです。
(ちなみに多摩センター駅は多摩市、小野路は町田市です)
以前、豪雪で知られる新潟・長野県境の山村に行った時、新潟県から長野県に入って、いきなり道幅が広くなったのを思い出しました。(長野県側の道は長野オリンピックに合わせて整備されていました)

やっと着いた小野路は多摩センターからバスで15分ぐらいしか離れているとは思えないほど、里山の風景が広がっていました。
これが多摩の原風景だったんでしょう。
でも、今の小野路は狭い道路を車がひっきりなしに走っていたので、歩道のない路肩を歩くのに身の危険を感じました。

そして、小島資料館に入館しました。
新選組に興味を持って以来、歳さんの資料館をはじめ、いくつもの個人運営の資料館に行きましたが、小島資料館が一番個人の家にお邪魔したという感じが強かったです。
小島家の母屋は天保13年(1842年)に寄場名主の邸宅として建てられ、昭和40年に改築されたそうですが、実際に見学したのと、母屋に展示されていた家の見取り図を見る限りでは、日野宿本陣より広く感じました。

小島資料館には大量の史料や文書、新選組関連の資料を所蔵していますが、展示されているのはほんの一部です。
展示物でわたしの目を引いたのは、勇さんの妻(ツネ)によるドクロの刺繍入りの勇さんの稽古着ではなく、小島鹿之助着用の鎖帷子です。
小島鹿之助は二着鎖帷子を作らせて、そのうち一着を近藤勇にプレゼントして、もう一着は自ら着用したそうです。
勇さんの鎖帷子を京都の霊山資料館で見たばかりなので、京都行きから1週間もたたないうちに同じ鎖帷子を見て、ちょっと不思議な気分になりました。
小島鹿之助が率いた?小野路農兵隊の行軍録も展示されていました。新選組の行軍録を参考にしたそうです。
小野路農兵隊は二度出動したそうで、甲陽鎮撫隊との合流には間に合いませんでしたが(合流する前に甲陽鎮撫隊が敗走したので^^;)、あと一回はミッションを遂行したことになります。

勇さんから小島鹿之助宛の手紙が何点か展示されていましたが、勇さんが天然理心流四代目を告ぐ前に、三代目の周助夫妻が家出して(!)、道場が傾いてしまったので助けてほしいという内容の手紙が目を引きました。(ちなみにこの手紙を小野路まで届けたのは沖田総司です)
それから約6年後に、勇さんが永井尚志に同行して広島に西下した際に、自分にもしものことがあったら、天然理心流は沖田総司に継がせると記された手紙も展示されていました。
勇さんの二通の手紙を比べると、前者より後者の手紙の方が堂々とした筆跡で書かれていて、江戸の片隅にあった道場主から新選組局長への肩書きの変化を示すと共に、上洛後、勇さんが日々書の練習をしていたという逸話を思い出しました。

もちろん、歳さんの手紙も展示されていました。
以前は、京でも大坂でも芸妓にモテまくり(笑)と自慢の手紙が展示されていたそうですが、わたしが見たのは慶応3年(1867年)の年賀状でした。
展示室に人がいないのをいいことに、歳さんの手紙をしばらく見つめていましたが、筆跡に見とれるばかりで、ほとんど解読できませんでした(苦笑)
ただ『主上様ご崩御』と読み取れたので、帰宅してから「クロニクル 土方歳三の35年」で手紙の内容を確認した次第です。
歳さんモテ自慢の手紙も見たかったです(笑)

あと、資料館の本棚にずらりと並んだ新選組関連の書籍・雑誌の数に圧倒されました。リーフレットによると700点あるそうです。
わたしは日本語で読める書籍が少ない時代の歴史にハマっていたので、新選組のようにあまりにも関連書籍が多いと、かえってどれから読んでいいのか迷ってしまいます。

帰りのバスが来るまで時間があったので、近くの小野神社に詣でてみました。
1000年以上前に創建された由緒ある神社だそうです。
小島家に出稽古に来た歳さんや勇さん、沖田総司もこの神社に詣でたかもしれません。
小野路の小野神社

最後に多摩センター駅から程近い、多摩中央公園に移築された旧富澤家に行きました。
富澤家は代々、多摩郡連光寺村の名主を努め、15代当主の富澤政恕は新選組の協力者の一人でした。
旧富澤家住宅

屋内にも富澤家と新選組との関係を説明したパネルが展示されていました。
ところが、バスに乗り損ねて小野路に行くのが予定より遅くなってしまい、小島資料館でもゆっくり見学していて、旧富澤家に着いたのは入館時間ギリギリだったので、旧富澤家をゆっくり見ることができませんでした(涙)
こちらは入館料が無料な上、多摩センターなら電車1本で行けるので、リベンジしたいです。

多摩センター駅前は今では大型ショッピングセンターがいくつも建ち並び、広い道路が走っていますが、昔は小野路と似たような風景が広がっていたはずです。
よくここまで開発したな…と感心してしまいます。
でも、自分が昔ながらの住宅街に住んでいるせいか、あまりにも計画的に開発されて造られた街には味わいが感じられません。

それにしても、小野路はやはり遠かったです。
石田村からなら、歳さんの足なら日帰りできたでしょうが、江戸市中の試衛館から小野路まで、徒歩では到底日帰りは無理です。
勇さんか歳さんが小野路で二泊したという記録をどこかで見ましたが、それも頷けました。
これからも多摩の新選組ゆかりの地を精力的に訪れたいです
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Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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