Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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深川散策

友人のAさんと東京の下町、「川向こう」の深川を散策してきました。
散策と言っても、あちこちは歩いていません。ルートは以下の通りです。

深川江戸資料館→霊巌寺→清澄庭園→深川不動尊

先月の頭から、幕末ゆかりの史跡巡りを再開しましたが、9月17日の「土方歳三が歩いた道1」以外は、新選組及び歳さん度の低いところばかりでした(汗)
でも、今回訪れた深川には、新選組のある隊士が上洛前に住んでいました。
彼の名は伊東甲子太郎です。

わたしが説明するまでもありませんが、伊東甲子太郎は元治元年(1864年)12月に上洛するまでは、深川佐賀町にあった北辰一刀流の道場主でした。

深川江戸資料館には天保年間の終わり頃(1842~1843年)の深川佐賀町の街並みがそっくり再現されています。
資料館の入口に深川ゆかりの人物が紹介されたパネルが展示されていて、甲子太郎も紹介されていました。
深川佐賀町に住んでいた、伊東甲子太郎
 
甲子太郎が道場主だった頃も、それほど街並みは変わらなかったと思われるので、深川江戸資料館では甲子太郎が住んでいた頃の深川佐賀町にタイムトリップすることができきます。
下の画像は佐賀町の大店、干鰯魚(ほしか)・〆粕(しめかす)・魚油問屋の「多田屋」の看板です。
深川佐賀町の大店油屋

建物だけが復元されているのではなく、その建物(主に長屋)にどんな人が住んでいたのか詳しく設定されていて、その設定に基づいて、生活用具が置かれています。
上の油屋の店頭や店の奥には入れませんが、他のお店や長屋には靴を脱いで、上がれるので、本当にその家にお邪魔している気分になれます。
一例を挙げますと…下の画像は木場の木挽職人、大吉さん宅(長屋)です。
ついたて(枕屏風)の陰には布団が積んであったり、鏡の下には奥さんが使っている紅入れがさりげなく置いてあったり、と芸が細かいです。
木場の木挽職人、大吉さん宅

深川江戸資料館では、江戸庶民の年中行事を再現しているそうで、今は十三夜の月見飾りがあちこちの長屋にありました。
江戸時代のお月見団子は大きく、見た感じでは野球ボールぐらいありました。二寸(6cm)から三寸五分(10cm)ぐらいだそうです。
Aさんと二人して、わたしたちが思い描いていた月見団子よりずっと大きい!と驚きました(笑)
昔のお月見団子は大きかった!

町中には屋台もありました。下は見ての通り、天ぷらの屋台(床見世)です。
でも、甲子太郎は屋台で買い食いするタイプではなさそうです。(門人なら買い食いしたかもしれませんが)
天ぷらの屋台

再現された街並みだけでなく、深川の歴史や長屋での暮らしを紹介したパネルや、深川に今も伝わる伝統芸能の映像も見ました。
先月末まで深川の某所にある会社に勤めていたため、深川の歴史に興味があったので、かなり熱心に展示内容を見ました。
前の勤務先がある場所から少しだけ離れたところが、江戸時代は海辺だったとは信じられません。
もしかしたら、この海辺に甲子太郎も門人と共に来ていたかもしれません。

まったりとじっくりと展示を堪能した後、資料館のパンフレットを購入しました。
資料館に再現されている町の住人の詳しい設定や、江戸の庶民の暮らしについて事細かに載っていて、400円ながら、とても濃い内容のパンフです。
パンフには、個人的に目からうろこな事柄が載っていました。

江戸の長屋住まいの人々にとって、「鍋と釜」は貴重な財産だったそうです。
一部パンフからの引用になりますが…当時、金属製品は目の玉が飛び出るほど高価で、穴が空いたら「鋳掛屋」に修理に出して、何代にも渡って、大事に使うものだったそうです。
佐幕派になってから、「鍋と釜」というと、榎本釜次郎(武揚)と兄の鍋太郎を思い出します。
何故、榎本さんの父、円兵衛は息子たちに「鍋と釜」とつけたんだろう、と円兵衛さんのネーミングセンスを疑っていましたが、江戸時代における「鍋と釜」の貴重さを知ると、円兵衛さんが息子たちの名前に託した思いがわかる気がしました。
下の画像は船宿「升田屋」の台所にあった釜です。
船宿「升田屋」の台所


深川江戸資料館の後は、隣にある霊巌寺に行きました。
霊巌寺の額

この寺は松平定信の墓や、江戸六地蔵の一つがあることで知られているそうですが、桑名藩の菩提寺だったゆえ、鳥羽・伏見の戦いの後、京都所司代・松平定敬がこの寺で謹慎してました。(この方は、ずっとここで謹慎したわけでなくて、箱館に行っているんですよね…)
でも、寺には当時の面影はなく、境内にある幼稚園の園児が元気に駆け回っていました。
ちなみに松平定信の墓にはお参りできませんが(一族の墓所が、お寺の墓地とは別に塀で仕切られた一角にあって、門が閉ざされています)、門の外から見学はできます。

その後は、清澄庭園を散策しました。
こちらは紀伊国屋文左衛門の屋敷→久世大和守(下総国関宿の城主)の下屋敷→岩崎彌太郎(三菱財閥)の庭園なので、幕末とは関係ない場所です。
今の深川はビルが立ち並び、木々の緑が少ない地域ですが、この清澄庭園は広い池の周りを木々に囲まれ、開放感のあるところです。(仕事の途中で散策しているらしいサラリーマンの姿もちらほら・苦笑)
入園時間ギリギリに入園したので、少々焦り気味で散策しました。
途中で、フランス人と思しき観光客とすれ違ったので、Aさんと外国人がこの庭を見たらどう思うんだろうねと話したりしました。
(霊巌寺で何枚か写真を撮ったところで、デジカメのSDカードに空きがないと表示が出てしまったので、清澄庭園の写真はありません)

最後に地下鉄で一駅分歩いて、深川不動堂にお参りしました。
ここには仕事帰りに何度も寄ったことがあります。(少し遠い目)
お不動さんの参道にはお土産屋が並んでいるので、わたしもAさんもここで実家へのお土産を買いました。
わたし一人で行っていたら、隣の富岡八幡宮にもお参りしましたが、諸事情で今日の深川散策はこれでおしまいにしました。
深川江戸資料館にはまた行ってみたいです。
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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