Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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増上寺詣で 和宮のご法要と徳川将軍家霊廟

今日、徳川家の菩提所であった芝・増上寺において、十四代将軍家茂の正室、和宮のご法要(静寛院和宮奉賛法要)が催されました。

普段は非公開の徳川将軍家霊廟が開かれるというので、充電期間に入ったのをいいことに、平日にもかかわらず増上寺に行ってきました。
増上寺に行ったのは今日が初めてです。
増上寺と東京タワー

ご存知の方も多いでしょうが、増上寺の背後には東京タワーがそびえ立っています。
お寺や神社の背後に高層ビルがそびえ立っていると、お参りしていてガックリしてしまいますが(深川不動尊は、後ろにビルだけでなく高速道路の高架が通っていて、景観が台無しです^^;)、増上寺と東京タワーの組み合わせは許せてしまいました。

徳川家にも皇室にも全くご縁のない庶民のわたしが、和宮のご法要に参列しました。
ご法要は大殿で催されましたが、大殿に入って法要の席に着く時にも特に何も言われず、お寺の人にご焼香を勧められました。もちろん、ご焼香しました。
葵の紋付の袈裟をつけたご遺族(というより多分ご血縁)の方だけでなく、外国人観光客や、どう見ても一般人が席についていたので、誰でも参列してよいようでした。

ご法要には徳川家と橋本家(和宮の生母の実家)の現在の当主の方が参列されていました。
庶民も参列していいとはいえ、そこは皇室から降嫁された将軍正室の法要なので、庶民の法事に比べると格式が高いのは見てわかりました。
多分、増上寺で一番偉い方(大僧正?)が中心になってお経を唱えられ、雅楽の演奏もありました。
また、ある女子中学・高校の学生が参列していて、彼女たちが和宮賛歌のような歌や、僧侶と共に仏教賛歌を歌っていました。
でも、正直言って、発音が明瞭でないので聴き取りづらく、何を歌っているかよくわかりませんでした(大汗)(大僧正の談話もしかり)
法要の後で講演会がありましたが、講演の内容が和宮とはあまり関係なかったので、途中退出しました。

それから、安国殿に行ってみました。
ここには徳川家康が信奉した秘仏黒本尊が祀られています。
家茂が長州征伐に出征した際に、和宮は黒本尊にお百度参りなさったそうです。
御開帳は年に3回なので今日は見ることができませんでした。
また、よく知られる和宮の木像も安置されています。

ここで何よりもわたしの目を引いたのは、木製の巨大な将軍家系図です。
徳川将軍家系図

画像をクリックして拡大して見ていただければおわかりでしょうが、下側に3段ずらりと名前が並んでいます。
これは上からそれぞれ十二代家斉、十三代家慶、水戸藩主・徳川斉昭の子供たちです。
斉昭の子供の中に十五代慶喜がいます。

家斉は大勢の妻妾に生ませた子供たちを諸国の大名の養子や正室にさせていたのは知っていましたが、大きな系図でずらりと子供の名前が並んでいるのを見て、唖然としてしまいました(大汗)
家斉がもうけた子供は総勢55人です。(この他にご落胤も数知れず…)
ヨーロッパの王室でも愛妾を何人も持ち、大勢子供を生ませた王はいますが、家斉ほどではありません。
(ちなみにヨーロッパの王室は王位を継げるのは正妃の子だけで、愛妾の子は絶対に王位を継げません)

家慶は27人子供をもうけましたが、みな早世し、成人したのは家定ただ一人でした。
その家定も病弱だったゆえに、将軍在位中から南紀派(井伊直弼)と一橋派(島津斉彬、徳川斉昭)による後継者争いが起こり、それが幕末の動乱につながっていくわけです。

徳川斉昭も子だくさんで、37人もうけています。
慶喜の幼名が「七郎麿」だったのはご存知の方も多いでしょう。
それは慶喜が斉昭の七男だからです。
画像では見づらいですが、どうやら斉昭は長男から九男には「○郎麿」、十男から十九男には「余○麿」、二十男から二十二男(!)には「二十○麿」と幼名をつけていたようです。(○には生まれた順番の数字が入ります)
1867年に、将軍慶喜の名代としてパリ万博に派遣された慶喜の弟、昭武は斉昭の十八男なので、幼名は「余八麿」です。

この系図には載っていませんが、慶喜も21人子供をもうけていて、父・斉昭といい勝負です(汗)
慶喜の子供はすべて明治時代に生まれています。
きっと、幕末の頃は子作りの余裕がなかったんでしょうね…(爆)
ちなみに慶喜の十男が、勝海舟の婿養子になって、勝家を継いでいます。

おっと…系図ネタが長くなってしまいました。
元々、系図を見るのが好きなので、この話題は熱く語ってしまいます。
系図ネタについてはWikipediaと「世界帝王事典」を参考にしました。

系図に呆然としつつも、今日の目的の一つ、徳川将軍家霊廟に足を運びました。
普段は閉まっているらしい門が今日は開いていました。
増上寺の徳川将軍家霊廟

増上寺には徳川家の6人の将軍、5人の正室、5人の側室、他に歴代将軍の子女が多数埋葬されています。
戦前までは日光東照宮にも負けないぐらい壮麗な霊廟(御霊屋)がいくつもあったそうですが(現在の東京プリンスホテルの敷地は、昔は増上寺の御霊屋でした)、昭和20年3月10日の東京大空襲と5月25日の空襲でほとんどが焼失してしまいました。
現在の墓所の入口の門は、わずかに残った建物の一つ、六代家宣の霊廟の門です。
幕末の世界にハマってから、あちこちの史跡めぐりをするようになりましたが、本当に多くの歴史的建物が戦災で失われてしまったのを実感します。

現在の墓所は戦後に改葬されたものです。
改葬の際に学術調査が行われて、和宮が家茂らしき男性の写真を胸に抱いて埋葬されていたのがわかったそうです。(このエピソード、泣かせます…)
墓所内には宝塔が8基安置されています。(配置図はこちら
政略結婚でも仲睦まじかったと言われる家茂と和宮の宝塔は並んで立っています。画像はこちらです。(お墓が苦手な方はクリックしないように)手前が和宮、奥が家茂の宝塔です。
将軍の奥方で独立した宝塔があるのは和宮だけです。
二代秀忠正室・お江与と、最近再放送された「その時歴史が動いた」で取り上げられた、六代家宣の正室、天英院熙子は夫と合祀されていますが、他の将軍の側室は合祀塔にまとめて埋葬されています。

普段は非公開の徳川将軍家霊廟が今日開かれているのは、あまり知られていないようで、訪れる人もわずかでした。
皆さん、静かにここでお眠りください…と手を合わせました。
墓所から空を見上げると、東京タワーが更に近くに見えました。

この後、用事があったので、これ以上増上寺やその周辺を散策できませんでしたが、増上寺の門前にある芝公園にペリーの胸像と、(小栗忠順が目付として加わっていた)万延元年遣米使節記念碑は見てきました。
(写真が上手く撮れなかったので、画像はアップしません)

4日には友人と一緒に深川散策する予定です。
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*Comment

Re: 増上寺詣で 和宮のご法要と徳川将軍家霊廟 

はじめまして。
私も時間とお金さえあれば史跡めぐりをする人間なのでとても面白く読まさせて貰ってます。
以前増上寺にも行ったのですが、霊廟の一般公開、行ってるんですね。驚きました。
機会があれば見てみたいです。
他のレポも興味深いものばかりで読んでてワクワクします。またお邪魔するので、宜しくお願いします。
  • ケロきち 
  • URL 
  • 2008年11月17日 16時02分 
  • [編集]

>ケロきちさん 

このたびは「ル・レジマン・アッシュ」へのご訪問とコメントをありがとうございます。

幕末に興味を持ってから、史跡めぐりが趣味になりました(笑)
ヨーロッパに比べると、日本は昔の建物が残っていなかったり、すっかり面影が変わっているところばかりで(特に東京)、史跡と言っても何もないことが多いので、ちょっと悲しくなる時がありますが、それでも現地に足を運んだからこそわかることがあるので、史跡めぐりは楽しいです。
増上寺の徳川霊廟は不定期に公開されていますので、増上寺の公式サイトをチェックされてはいかがでしょうか。
これからも、このブログを楽しんでいただけるとうれしいです。
  • まやこ 
  • URL 
  • 2008年11月17日 22時27分 
  • [編集]

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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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