Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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歳さんが何度となく通った村

箱館旅行からあっという間に一週間過ぎました。
旅行の感想はもうしばらくお待ちください。
普通の旅行記も兼ねるつもりなので、エリアごとではなく、行った場所順に書くことになるでしょう。

今日の記事はわたしの地元についてです。
わたしは子供の頃から20数年間、江戸時代は武州多摩郡と呼ばれた地域に住んでいます。
歳さんの故郷、多摩郡石田村から見て東に位置する、甲州道中(甲州街道)沿いの町です。
近藤勇が上洛前、地元に出稽古に来たという記録が残っているそうです。
歳さんも何度となく甲州道中を通ったので、当然地元を通ったでしょう。
もしかしたら石田散薬も売りに来たかもしれません。

そんなわけで、歳さんが通った頃(江戸時代)の地元の様子を知りたく、地元の歴史に関する展示がある、区民集会所に行ってみました。
ここには古くから地元に住んでいる方(多分名主のご子孫)が提供された史料のコピーや、地元の歴史についてのパネルが展示されていました。
また、地元の歴史をまとめた本が置いてあったので、それにも目を通しました。

自分の地元の地名をブログで書くのは、プライバシーに関わってくるので、明記しませんが、多摩郡の東側に土地鑑のある人はきっとお分かりになるかと思います。
それでも地名をコメントに書くのは差し控えていただけると幸いです。

わが地元(以下「某村」と明記)は甲州道中の高井戸宿と布田宿の中間にあり、江戸時代は旅人が一休みする「間の宿」の役割を果たしていたそうです。

以下の斜体にした文章は、区民集会所でもらったパンフレットからの抜粋です。(地名は伏せています。下線と番号はわたしが加えました)

江戸時代の○○村は甲州街道沿いに農家が点在する静かな農村でした。
江戸の発展に伴って村の北側に玉川上水が引かれ、○○村にも用水が分水され(1)、次第に農業が発展しました。
水田や麦畑、桑畑、茶畑が広がる村(2)の暮らしは、明治になってもほとんど変わりませんでしたが、周辺の村々に比べて水に恵まれた○○村は、人口も多く、最も多い生産高を誇っていました(3)
水路には水車がかけられ、精米、製粉が行われるようになりました。
大正時代に入ると、大正2年に京王線が通り、市街化が始まる契機となりました。


(1)
江戸時代、某村を横断する甲州道中には7つの流れ(用水)が街道を横切り、橋が架かっていたそうです。
今でも某村のあちこちに用水路の跡が残っています。
「跡」と書いたのは、わたしが子供の頃からすでに某村は住宅地だったので、用水路はどぶ川と化していて、今ではふたをされたり、埋め立てられて歩道になっている用水路がほとんどだからです。
なので、今年、初めて歳さんの故郷に行って、歳さんの生家や佐藤彦五郎新選組資料館の前の用水路をとうとうと水が流れているのを見て、新鮮に感じました。

(2)
某村の水路は土地の低い部分を通っていたため、高いところ(武蔵野台地)にある田んぼや畑に、何本も通っている用水の水を活用することができず、農業は稲作よりも畑作が中心だったそうです。
引用文の最後にもあるように、大正時代に京王線が開通し、関東大震災で被災した人々が移り住んだ結果、某村の宅地化が進みました。
その影響で養蚕、茶栽培がなくなり、東京を市場とする野菜の栽培がを主体とする近郊農業に変わりました。
現在でも某村には野菜畑が点在していて、農家で野菜の無人販売が行われています。

(3)
江戸時代後期、武州多摩郡某村の総石高は約1000石(正確には1078石5斗6升8合9勺←細かっ!)、家数は168軒でした。
総石高のうち9割が天領で、残りの1割が3人の旗本の知行地でした。
旗本の知行地はそれぞれ30石前後なので、知行地の一部だと思われます。(ちなみに小栗上野介は9ヵ所知行地を保有していました)
某村の石高は元禄時代に1000石を超え、明治時代初頭までほとんど変わらなかったそうです。

この石高、家数は武蔵野(多摩郡)では多い方です。
他の多摩郡の村の石高はほとんど500石以下だったそうですが、歳さんの故郷、石田村も同様です。

「特別展 新選組誕生」に載っている『武州多摩郡石田村宗門別書帳控』(江戸時代の戸籍にあたるもの)によると、歳さんが石田村で暮らしていた頃の石田村の石高は約150石(正確には155石9斗6升8合)、家数は15軒前後です。
某村の方が石田村より、石高は約6倍、家数は11倍(!)多いです。
村の面積も某村の方が石田村より広いですが、現在の地図で比較してもそれほど面積に差がありません。(せいぜい3倍くらい?)
いくら某村が石田村より江戸に近く、多摩川から離れているゆえ洪水の危険がないとはいえ、この差は一体…と思いました。
「特別展 新選組誕生」の『土方歳三と石田村』によると、毎年程度の差はあっても、多摩川・浅川の出水で耕地を失い、そのたびに開墾を繰り返していたそうなので、石田村の耕地がなかなか広がらない→石高が増えないのだと推察しました。

歳さんの故郷は多摩モノレールの開通を機に急激に宅地化が進んでいるそうですが、数十年後にはわが地元のように住宅地の中に畑が点在するだけになってしまうのでしょうか…

追記:
某村には「寺町」と呼ばれる地域があります。
関東大震災で被災したり、震災復興の区画整理のために東京の下町(浅草、築地、本所、深川など)から20数軒のお寺が某村に移転して、寺院街を形成しました。
幕末に興味を持って、地元にこれだけお寺があるなら、幕末の著名人の墓があってもおかしくないよな~と「幕末歴史散歩 東京篇」の巻末の幕末の著名人の墓所の所在地リストを見てみましたが、残念ながらほとんどありませんでした。
でも、同じ区内に幕末の超大物の菩提寺と、もう一人大物を祀った神社があるので、いずれそちらにも参りたいです。


歳さんのファンになったのがきっかけで、地元の歴史を顧みるようになったのには、我ながら驚きです。
何度もこのブログや日常の覚え書ブログに書いていますが、わたしは長い間、遠い国の遠い昔の歴史にしか関心がなかったので…
2年前に実家を離れて、一人暮らしを始める際も地元から離れませんでしたが、今となればそうして良かったです(笑)
地元には歳さんが通った頃の面影は全く残っていませんが、それでも彼の息吹を感じてられてしまう自分がいます。
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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