Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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新選組ゆかりの地巡り・京都編(其ノ壱)

4月8日に京都に日帰り旅行してきました。
歳さんファン及び新選組に興味を持ってから、武州多摩在住のわたしがこんなに早く京都に行くことになろうとは、自分でも予想外でした。
実家の母が新聞か何かで、新幹線(のぞみ)で都内と京都を往復する日帰りツアーを見つけてきて、勝手に申し込んだのです。
でも、新選組に興味を持ったなら、いつかは京都に行きたいと思っていたので、母の誘いに乗りました。

これまで新選組ゆかりの地めぐりは一人で行くことがほとんどでしたが、今回は実弟が一緒でした。
弟はわたしよりは幕末に日本史に興味を持っていて、大河の「新選組!」も毎週欠かさず見ていたそうです。
でも、京都をガイドしたのはもっぱらわたしでした。

今日のルートは以下の通りです。
不動堂村→七条油小路→西本願寺→島原→(四条大宮で昼食)→壬生→霊山歴史館→三条池田屋跡
このルートをほぼ徒歩で巡りました。

まず、京都駅から程近いリーガロイヤルホテルに行きました。
ホテルの入口の前に、この辺りに新選組の京都における最後の屯所、不動堂屯所跡があったという碑(近藤勇の句碑と、屯所跡の由来を示すプレート)が立っています。
不動堂屯所は大規模だったにもかかわらず、当時の面影は全く残っていません。
8日は基本的には晴れていましたが、ここを訪れた時だけ風雨が強かったです。

それから広い堀川通りから路地に入って、七条油小路に行きました。
でも、油小路がなかなか見つからず、しばらくウロウロしてしまいました。
京都の通りにはみな名前がついているんだから、フランスのようにどんなに細い通りでも名前を書いたプレートをつければいいのに…と思ってしまいました。
 どうにか油小路を見つけて、襲撃された伊東甲子太郎が門前で息絶えたという本光寺に行きました。
カッシーが本当に息絶えた場所は境内にあるそうですが、入口の脇のインターホンを押して中の人を呼び出さないといけなかったので、甲子太郎のファンではないわたしはそこまでしなくていいと思って、門前の写真を撮るだけにしました。
油小路も路地の細さだけが、幕末当時の面影を留めています。
油小路を上り、西本願寺が近づくにつれて、仏具店が増えてきました。道の両脇に仏具店が並ぶのはいかにも京都らしい眺めでした。

西本願寺は新選組が二番目に屯所にしたところです。
今日は花祭り(お釈迦様の誕生日)なので、阿弥陀門の前に白い像と、甘茶をかけるお釈迦様の小さな像がありました。
わたしの名前はお釈迦様の生母(摩耶夫人)が由来なので、ちょっと神妙な気持ちでお釈迦様の像に甘茶をかけました。

西本願寺・阿弥陀堂一番重要な建物、御影堂は10年間にわたる大修復中で(平成大修復)中には入れませんでしたが、隣の阿弥陀堂には入ってみました。
現在の阿弥陀堂は1760年に再建されているので、きっと歳さんや新選組隊士は日々この建物を目にしていたでしょう。
まず、外見(建物の大きさ)に圧倒され、中に入り、寺の格式の高さを肌身で感じました。
さすが浄土真宗本願寺派の本山です。武州多摩の寺(高幡不動尊や深大寺)とは格が全然違います。
境内はとても広く、新選組が砲撃訓練できるほどの広さなのを実感しました。(でも、お寺の境内で大砲を撃つのはどうかと…汗)


太鼓楼

新選組が屯所に使っていた北集会所は姫路のお寺に移築されてしまったので、現在、西本願寺に残っている新選組が使っていた建物は太鼓楼のみです。
まるでお城の櫓を思わせる立派な建物でした。
太鼓楼の前には新選組がこの太鼓楼を使っていたという説明板が立っていましたが、お寺でもらったリーフレットや西本願寺のサイトにには新選組のことは一切書かれていません。
今でも新選組は西本願寺に疎まれているんですね…(汗)(あれだけ、寺内で危険なことや乱暴したら、嫌われても当然でしょう)



西本願寺から島原に至るまでの道は、きどらない庶民的な雰囲気の商店街でした。
ただ、東京と違うのは古い町屋がごく当たり前のように残っていることです。
東京の下町は震災と戦災で見事なまでに焼け出されてしまい、古い建物はほとんど残っていないのと比べると対照的でした。

島原の大門をくぐり、置屋の「輪違屋」、揚屋の「角屋」に行きました。
島原の花街は置屋から揚屋(今の料亭・料理屋)に太夫、芸妓を呼び、揚屋で客と太夫、芸妓と共に遊宴を楽しむところです。その形態は今の祇園の花街に受け継がれているそうです。
「輪違屋」は外観しか見られませんでしたが、「角屋」は入場して、じっくり見学しました。
ここは行って本当に良かったです!

揚屋は宴会が催せるような大座敷、大座敷に面した広い庭、広い台所があることが特徴ですが、角屋もその特徴を備えています。
入場者は台所から入ります(笑)
 しばらく室内の展示を見た後(新選組関連のもあり)、大座敷の松の間でガイドさんの話を聞きました。
松の間から見える庭園の美しいこと!
臥龍松に、背後に咲く枝垂桜の色が映え、木々の間からお茶室が見える、いかにも京都らしい庭園でした。
お茶室は大座敷からお茶を立てているのが見えるように開放式になっている珍しいものでした。(残念ながらお茶室は見学できませんが…)
桜の時期に京都を訪れて、本当に良かったと心底思いました。

ガイドさんから島原と江戸の吉原との違い(もらったリーフレットや展示コーナーでも島原と吉原との違いが強調されていました)、庭園の松と茶室について、線路沿いにあるため、太平洋戦争中に爆撃の目標になると言われ壊されてしまうところを、西郷隆盛が行水したと伝えられる桶のおかげで免れた、という話を聞きました。
ガイドさんの話が一通り終わったところで、一緒に話を聞いていた人の一人が「他にまだ話がありますよね?」がガイドさんに尋ねました。
 ガイドさんが忘れていたのか、わざと話さなかったのかはわかりませんが、話し始めたのは、芹沢鴨と彼の一派が暗殺される前、この角屋の松の間で宴会していたことでした。
この時に近藤派に酒を大量に勧められ、泥酔した芹沢鴨と彼の一派は、角屋での宴会の後、八木邸で暗殺されます。
ここに新選組の面々が集い、腹に一物を抱えながら、酒宴をしていたのか…と思うと感慨深いものがありました。
角屋には他にも新選組にまつわる話があって、(今では予約をしないと見学できない)二階の座敷で芹沢鴨が酔いに任せて大暴れしたり、つけ払いを断られた隊士がやけになって切りつけて出来た柱の傷が残っています(大汗)
でも、わたしと同じく、新選組隊士たちもここで京都らしい趣を感じる一時を過ごしたと信じたいです。

角屋でゆっくりしていたらお昼になったので、壬生方面に行きがてら食べるところを探しました。でも今では普通の住宅街になっている壬生ではランチによさげな店が、なかなか見つかりません。
なので、壬生寺や八木邸を横目に結局四条大宮まで出て、そこでランチを取りました。
壬生にはランチの後に行くことにしました。

(新選組ゆかりの地巡り・京都編(其ノ弐)に続きます)
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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