Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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秋の青山霊園散策

20091014120412
約一年ぶりに青山霊園を訪れました。
今は金木犀が盛りです。
写真は黒田清隆の墓所で咲いていた金木犀です。墓所内に見事な金木犀の大木があります。
大鳥さんの墓所でも金木犀が咲いていました。
今は昼食中で、これから肥田浜さんのお墓参りします。

この先は例によってPCからの追記です。
今日は渋谷に行かなくてはいけない用事があったので、用事が済んだ後に久しぶりに青山霊園を散策し、更に近くの国立新美術館で開催中の「THEハプスブルク展」を観ました。

青山霊園に行ったのは約1年ぶりです。
昨年の5月までは、青山霊園に程近い会社に勤めていて、昼休みによく霊園内を散策していたので、懐かしかったです。
まずは昼休みにもよくご挨拶に行っていた、澤(太郎左衛門)さん、黒田(清隆)さん、大鳥(圭介)さんのお墓に詣でました。
黒田家の墓所にある金木犀は満開でした。
ただ、先日の台風で折れた太い木の枝が放置されているのが気になりました。
多分、墓所内の管理はその家に委ねられているので、霊園の管理者が片付けることができないのかもしれません。
また、大鳥家の墓所でも金木犀の花が咲いていました。
大鳥家の墓所では春は桜、秋は金木犀が鑑賞できて、なかなかいい雰囲気です。(ただしお花見シーズンは大鳥家墓所の前で宴会が…)

青山で働いていた頃に時々行っていたハンバーガー店でランチしてから、今回の青山霊園行きの最大の目的、浜さんこと肥田浜五郎のお墓に行ってみました。
以前、浜さんのお墓に詣でたことはありましたが、その当時は単に旧幕臣の一人としか意識していませんでした。
でも、『秋の金魚』を読んでから、浜さんに興味を持ち、青山霊園の彼のお墓を訪ねれば、ヒロインの留喜が果たして実在の人物だったかわかるかもしれないと思いました。
それで、今日は墓前で手を合わせた後、肥田家の墓所をくまなく調べてみました。

肥田家の墓所には大きなお墓が二つ、小さなお墓が三つあります。小さなお墓は人間のものではありません。(詳しくは後述)

大きなお墓のうち、一つが浜さん、もう一つが『秋の金魚』にも登場した息子、寿一郎のお墓です。
浜さんのお墓には、正面に役職名(海軍機技総督)と官位と共に「肥田浜五郎」の名前、後ろ側に鉄道事故で亡くなった日(明治22年4月28日)が刻まれているだけです。
もう一つのお墓は正面に「肥田家之墓」、後ろ側にお墓が建立された日と建立者(多分、寿一郎の息子)の名前が刻まれているだけで、傍らに墓誌が立っています。
墓誌には寿一郎の戒名と亡くなった年月日(昭和17年9月24日)と「俗名 籌一郎 行年73歳」と刻まれていました。でも、墓誌に刻まれている名前は寿一郎だけでした。
つまり、大きなお墓には、浜さん、寿一郎それぞれ一人しか埋葬されていないことになります。
留喜が本当に存在して、浜さんの妾だったかは置いておいても、浜さんには正妻がいたはずです。
夫婦揃って同じお墓に埋葬されなくても、別のお墓に埋葬されることもあります。
現に榎本釜さんの奥様、多津さんも釜さんとは別の独立したお墓で眠っています。
浜さんの正妻(『秋の金魚』では「喜代」)は一体どこに葬られているのでしょうか?

先程、肥田家の墓所の小さな三つのお墓は人間のものではないと書きましたが、実は「犬」のお墓です。
一つの墓には「愛犬」と死んだ日(明治19年4月20日)、もう一つの墓には「義犬」と刻まれています。三つ目の墓は途中でボッキリ折れていますが、大きさからして多分犬のだと思われます。
『秋の金魚』で浜さんが留喜のために海軍省から洋犬をもらってきて、留喜が育てていましたが、実在の浜さんも犬を飼っていて、しかも亡くなった犬のためにお墓を立てるほど可愛がっていたことがわかり驚きました。
『秋の金魚』の作者は浜さんの墓所を訪れ、史実を取り入れた上で、あの作品を書いたことがわかりました。(不誠実なE.K.さんの小説とはえらい違いだ…)

また、浜さんと寿一郎のお墓の間に、江川英龍の息子の江川英武が奉献した燈籠が立っています。
以前は墓参した折には浜さんが江川家家臣団の一人と知らなかったので、何の気なしに燈籠を見ましたが、今回は燈籠に刻まれた「江川英武」の文字がすぐに目に入りました。
改めて、浜さんが江川家とゆかりのある人だと思いました。

肥田家の墓所で浜さんの妻妾についての情報が得られなかったのは残念でしたが、それ以外に興味深い事柄を知りえたのは良かったです。

それから、西周のお墓にも行ってみました。
西さんのお墓も昨年和蘭旅行の前後にお参りしていますが、今回は西家の墓誌を見るのが目的でした。
西家のお墓は微妙にわかりづらい場所にあるのをわかっていたのに、お墓の番地を控えてこなかったので、見つけるまでに時間がかかってしまいました。
西周は林研海の弟、紳六郎をに養子にし、紳六郎は赤松則良(大三郎)の末息子、酉乙(とりおつ)を養子にしています。
西家の墓誌によると、西酉乙の没年は平成元年(1989)です。
残念ながら、酉乙の生年はわかりませんが、赤松くんの奥様の貞さんは明治44年(1911)に亡くなっているので、そのことも合わせて考えると、酉乙は長寿だったことがわかります。
末息子とはいえ、幕末から明治にかけて活躍した人物の子が平成まで健在だったのには驚きました。
肥田家にしろ、西家にしろ、いずれにしても、お墓(墓所)には様々な情報が盛り込まれていることを改めて感じました。

本当はTHEハプスブルク展で展示されていた、明治天皇から皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリザベートへの贈り物にからめたことも書くつもりでしたが、浜さんのお墓ネタが長くなってしまったので、書くのはやめにします。
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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