Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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鉄炮組百人隊出陣

20090927163658
新大久保に「鉄砲組百人隊出陣」を見に行ってきました。
写真は新大久保駅前の皆中稲荷神社の境内です。
狭い境内での鉄炮隊の演武はとても迫力がありました。
新大久保はわたしの故郷ですが、町並みのあまりの変貌に驚くばかりでした。

この先は例によってPCからの追記です。

新宿の北側、新大久保で開催された「鉄炮組百人隊出陣」を見に行ってきました。
これはJR新大久保駅のすぐ近くにある皆中稲荷神社の二年に一度開催される例大祭に奉納される行事です。
皆中稲荷神社例大祭
新大久保は今ではすっかりコリアンタウン化してしまいましたが、江戸時代は徳川幕府の鉄炮百人組(江戸城の大手三門を守備する同心百人で構成される鉄炮隊)の組屋敷や、銃撃の練習場がありました。
現在でも新大久保駅周辺に「百人町」の地名が残っています。
御家人の鉄炮百人組同心は家禄が低かったため、組屋敷内で任務の傍らのつつじの栽培が盛んになり、江戸時代中ごろからはつつじの名所として知られるようになりました。
現在はつつじは新宿区の区花になっています。

皆中稲荷神社は(境内に掲げられた由来によると)ある鉄炮組与力が稲荷の霊夢によって百発百中の腕前に上達したことから、鉄炮組から信仰され、やがて射撃だけでなく「当たるもの」にもご利益があると評判になり、現在では「賭け事の神様」として親しまれています。
皆中は「かいちゅう」と読みますが、「みなあたる」の意味があります。

詳しくは「江戸幕府 鉄炮組百人隊保存会」のサイトをご覧ください。

「る・れじまん・あっしゅ」では、わたしは武州多摩郡甲州道中沿いの某村在住をアピールしていますが、実は新大久保がわたしの故郷です。
生まれたのは都内の別の場所ですが、父の勤めている会社が新大久保にあった関係で、0歳から5歳まで新大久保に住んでいました。
今でも本籍は新宿区大久保にあります。
また、わたしの弟は新大久保の病院で生まれ、皆中稲荷神社でお宮参りをしています。

新大久保は大久保通りを挟んで、短冊形に土地が区切られていますが、これは戦略上、一度に多数の敵が侵入できないように、間口が狭く、奥行きを極端に長くした組屋敷の敷地の名残です
わたしがかつて住んでいた家もそんな土地の一角にありましたが、すでにはありません。
新大久保一帯の地図
わたしの住んでいた家があった一帯は今でも普通の住宅街ですが、大久保通りから南(上の地図では中央を横断する通りから上側)、職安通りにかけては、今ではすっかりコリアンタウン化してしまいました。
わたしが子供の頃、その一帯には今で言うところのラブホは点在していましたが(汗)、ハングルの看板を掲げた店はなかったそうです。
それがすぐ隣りの歌舞伎町で働く韓国人が住みつくようになってから、町の様子が変わってきたそうです。
特にここ数年の韓流ブームで更にコリアンな店が増えていて、新大久保駅前の通りに韓国料理の店や韓流スターのグッズを扱う店が立ち並んでいるのを見て、唖然としてしまいました。
ここまで書きましたが、韓国や韓国人に対して特別な感情を抱いていません。

あまりにも変わりすぎた新大久保の街並の中で、皆中稲荷神社だけは変わっていなかったので、心底ホッとしました。
皆中稲荷神社のとても狭い参道に屋台が並び、本殿に手を合わせる人々が列を連ねていました。
わたしもお参りしたのは言うまでもありません。
皆中稲荷神社の本殿
模範発射を見る前にまずは腹ごしらえ…と、大久保通りに何軒も立ち並んでいる韓国料理のレストランに入って、石焼ビビンバのランチを食べました。

模範発射は皆中稲荷神社を含めて、8ヶ所で行われましたが、わたしはそのうち西戸山野球場での模範発射と合戦演武を見ました。
レストランでのんびり石焼ビビンバを食べていたので、会場に着いたのは鉄炮組の隊列が到着する直前でした。
おかげで隊列の入場を間近で見ることができました。写真は人の顔がハッキリ写っているので、小さなサイズの画像にしました。雰囲気を味わってください。
鉄炮組百人隊の隊列(その1) 鉄炮組百人隊の隊列(その2) 鉄炮組百人隊の隊列(その3) 鉄炮組百人隊の隊列(その4)

会場には多くの観客が詰めかけていました。下の写真にも写っていますが、会場(野球場)の外から見ている人もいました。この方が後ろからですが隊列を近くで見られましたが、わたしは隊列から離れても正面から見ました。

鉄炮隊の発射演武は以前、日野中央公園で西洋流砲術演武を見たことがありますが、かなり雰囲気が違いました。
鉄炮組百人隊の発射演武の号令は(当然ながら)日本語で、隊士の服装はまるで戦国時代の足軽のようでした。もちろん銃は火縄銃です。
隊は10人1組×3で、合計30名でした。1組10人が一斉に発射、または隊士が一人ずつ順に発射しました。
下の写真は左から整列、弾込め、発射直後の様子です。また、座って射撃もしました。
鉄炮組百人隊の発射演武(その1) 鉄炮組百人隊の発射演武(その2) 鉄炮組百人隊の発射演武(その2)
鉄炮組百人隊の発射演武(その4)

写真で見てもお分かりの通り、わたしは隊列の正面とは言え、かなり離れたところから見ていましたが、10人が一斉に発射する時は轟音と共に地響きが足元まで伝わってきました。
もし、3組30人が一斉に発射したら、轟音と地響きはもっと激しいものになったでしょう。
なお、白煙が上がっている写真は発射して少し後に撮影したものです。発射直後は白煙がまるで煙幕のように広がり、隊士の姿が見えませんでした。
会場の実況?中継で色々説明していたらしいですが、わたしの見ていた場所にはスピーカーがなかったので、ほとんど聞こえなかったのが残念でした。

野球場での発射演武が終わってすぐに、わたしは最後の発射が行われる皆中稲荷神社に戻りました。
数年前に鉄炮組百人隊出陣を見に行った母から、皆中稲荷神社は境内が狭いので射撃が迫力があったと聞いていたからです。
境内で10分程待っていたら、隊列が神社に帰って来ました。
出陣式は終了で隊列は崩れていましたが、5人の隊士が境内に整列し、射撃の準備を始めました。
隊列が野球場に入場した時はわからなかったのですが、隊士は左肩に役職名と名前の入った布をつけていました。実際に射撃する隊士の役職は「同心」でした。発射の指揮を取るのは「与力」か「組頭」でした。
布に思いっきり個人名が入っているので、名前が判読できない程度に写真のサイズを小さくしました。
皆中稲荷神社境内での射撃準備 皆中稲荷神社境内での射撃直後
そして、境内で5名の同心が一斉に発射しました。爆音と地響きのすさまじいこと!隣りで見ていた人と一緒に驚きました。
母の言っていた通り、迫力は野球場での演武の比ではありませんでした。

これで鉄炮組百人隊の発射はすべて終わり、境内では後片付けが始まりました。
赤い甲冑に身を固めた組頭の人は大人気で、何人もの人と一緒に写真を撮られていました。
ここには写真をアップしませんが、赤い甲冑と兜がひこにゃんを彷彿とさせました(笑)

それから数年ぶりに新大久保の街を散策しました。
まず、わたしが元住んでいた家があった辺りに行ってみましたが、母が一緒でなかったので、ハッキリした場所がわかりませんでした。
先程も書きましたが、大久保通りの北側はコリアンタウン化されておらず、今でも普通の住宅街でした。
母によると、昔はとても火事が多く、住んでいた家の近くまで火事が迫ってきたこともあったそうです。
また、わたしが多摩郡に引っ越す前まで通っていた幼稚園にも行ってみました。
少子化の影響で閉園しているのではと思いましたが、現役だったのでホッとしました。(よく見たら、近くにタワー型の高層マンションがあるので、ある程度は子供はいそうでした)

わたしが通っていた幼稚園は2年制で、年長組の名前は「つつじ」と「さつき」で、わたしは「つつじ」組でした。
昔は組の名前が「つつじ」なのに何の疑問も抱きませんでしたが、成長して、幼稚園の組の名前は子供の好きそうな花や色、果物や動物の名前なのが一般的なのを知って、「つつじ」組って何て渋いネーミングなんだろうと思いました。
そして、江戸時代に深い関心を持つようになってから、大久保が江戸時代はつつじの名所だったゆえ、それにちなんで幼稚園の組の名前が「つつじ」になったに違いないと推察するようになりました。(気づくまで一体何年かかったのやら…)
でも、今は年長組は「つつじ」ではなく、果物の名前になっていたのがちょっと残念でした。

この先は江戸時代とは関係ないので、簡単に書きますが…大久保通りと職安通りに挟まれた一帯のコリアンタウン→職安通り→歌舞伎町→新宿東口と歩きました。
鉄砲組百人隊の発射演武を見た後で、ハングルだらけのコリアンタウンを歩くのはまるで韓国に来たような気分を味わいました。(ちなみわたしは韓国には行ったことがありません)
また歌舞伎町にイケメンホストの店の看板がたくさんあるのに目が点になりました。歌舞伎町は昼間は女一人でも歩けますが、夜は絶対に行きたくありません。
新宿東口の歩行者天国を見て、見慣れた光景にホッとしました。

今回の記事は、鉄砲隊の演武のレポというより、わたしの故郷の紹介になってしまいました。
やはり自分の足元を見つめること…生まれ育った地の歴史を知ることは大切だと思った一日でした。
  • [No Tag]

*Comment

新大久保で!? 

こういう美味しい催しが有ったとは、驚きですv-237
きっと見に行ったら、写真を撮りまくったでしょうv-212
この時代の銃の構えポーズとか、なかなか数が無いので…

花のお江戸には、まだまだ知らない事がいっぱいですね~
(生まれはお江戸のクセに;;)
  • Koto 
  • URL 
  • 2009年09月28日 20時18分 
  • [編集]

Re: 新大久保で!? 

>Kotoさん

コメント返しが遅くなってしまい、申し訳ありません。
記事にたっぷりと追記し、写真も何枚もアップしたので、後ほどゆっくりご覧くださいませ。

> 花のお江戸には、まだまだ知らない事がいっぱいですね~
> (生まれはお江戸のクセに;;)

わたしも幕末に興味を持つ前は、遠い国の昔の歴史ばかり関心があって、自分の生まれ育った土地(東京)にほとんど無関心でした。
でも、本文にも書きましたが、地元の歴史を知ることは大切だと思います。
  • まやこ 
  • URL 
  • 2009年09月30日 23時27分 
  • [編集]

No Title 

インフルエンザで休んでます。鉄砲組百人隊初めて知りました。保存会のブログも見ました。これは志すものであれば素人も可なのですね!間近で見たら迫力ありそうですね。
  • 三浦あぼりじに 
  • URL 
  • 2009年10月13日 19時33分 
  • [編集]

 

>三浦あぼりじにさん

お久しぶりです。インフルエンザにかかってしまったのですね。
わたしの周りにはかかった人が誰もいないので、インフルエンザの存在はあまり意識していませんが、これからますます流行りそうなので気をつけなくてはいけませんね。

鉄炮組百人隊出陣の演武には女性も参加していました。
普通ならまず手にすることすらない火縄銃を扱えるのは魅力的かもしれません。
神社の境内で見た演武は、とても迫力がありました!

早くインフルエンザから回復されるといいですね。
  • まやこ 
  • URL 
  • 2009年10月13日 22時49分 
  • [編集]

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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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