Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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向島をサイクリング(その2)

7月17日に、自転車で向島を散策した時のレポ、「向島をサイクリング(その1)」の続きです。

三囲神社に続き、隅田川七福神の一つ、弘福寺にお参りしました。こちらには布袋尊が祀られています。
この寺で若き日の勝海舟が座禅修行したそうです。(勝さんはこの手のネタ、多いですね^^;)
本堂は立派ですが、勝さんが修行した時のままではなさそうです。
弘福寺

弘福寺の程近くに「墨堤植桜之碑」があります。
こちらは向島に点在する釜さんが篆額した碑の中で一番わかりやすく、行きやすい場所にあるかと思います。しかも説明板も二種類あります。
この碑は4代将軍徳川家綱の命で始まった江戸時代から明治にかけての墨堤の桜の植樹の功績を讃えるものです。
墨堤の桜は初めは(後ほど紹介する)隅田川神社付近を中心に植えられていたそうですが、川沿いに南に向かって桜の植樹が進んだそうです。
今は川沿いに首都高速が走ってしまい、往時の風情はすっかり失われてしまいました。
江戸っ子釜さんが今の墨堤を見たら、どう思うでしょうか…
墨堤植桜之碑
この先、続きます…

榎本武揚旧宅跡
それから、墨堤通りを北上して、釜さんの旧宅跡に行きました。
すみだの文化財マップには釜さんの住所は「(墨田区)向島5-12-12」と記載されています。
現在この地にはラ○オンズマンションが建っています。墨堤通りを北上すると、右手に見えてくるので、見た目にもわかりやすいです。わたしはこのマンションを榎本マンションと呼んでいます(笑)
でも、マンションそのものは墨堤通りには面していなくて、通りから1本細い路地を入った場所にあります。
残念ながら、この一帯は釜さんが住んでいた当時の面影は全くありません(涙)
しかもすみだの文化財マップに「榎本武揚住居跡」として載せているにもかかわらず案内板の類もありません。
ここから程近い言問小学校には、旧幕臣の成島柳北の別荘跡の案内板はあるのに、なぜ釜さんのはないの~と思ってしまいました。
榎本武揚旧宅跡

後日、明治43年(1910年)の向島の地図(のコピー)を入手し、以前、知人からもらった資料と照らし合わせてみたら、すみだの文化財マップ記載の榎本宅の住所が間違っていることがわかりました(汗)
この件については、改めて別記事にするつもりです。

梅若公園の榎本武揚像そして、自転車を飛ばして更に墨堤通りを北上し、白髭神社を通り過ぎ(ここは後ほど訪問)、梅若公園内の榎本武揚像に会いに行きました。
この時こそ自転車を借りてよかったと思ったことはありません。
過去2回の向島散策でも武揚さん像に会いに行きましたが、榎本さん旧宅跡と梅若公園の間は徒歩だと遠く感じたので、自転車でかなり移動時間を短縮できて良かったです。
今の墨堤通りは武揚さん旧宅跡を過ぎると(川側は特に)物流センターと団地が多くなり、誠に味気ない風景になるので、正直言って徒歩では退屈に感じられる道のりなのです。

先程も書きましたが、梅若公園内の榎本武揚像に会いに行ったのはこれで3回目です(笑)
初回、前回は同行者がいましたが、一人で会いに行ったのは初めてです。
井上トロを連れて一人で行ったのをいいことに、武揚さん像とトロとのツーショット写真(笑)を何枚も撮りました。
武揚さんを尊敬の念で見つめるトロの写真とか、武揚さんと一緒にえっへん!と胸を張るトロの写真など傍目には意味不明なものばかりです(笑)
このついでに、わたしが借りた自転車の写真もアップします。とても乗り心地の良い自転車でした
武揚さんとトロ   レンタサイクル

何度度見ても、ここの榎本像は背後の団地の守り神にしか見えません(爆)
初めに榎本像ありきで、元は木母寺の境内にあったそうですが、木母寺が東京都の防災拠点建設の改造事業で移転した後、像だけが取り残された形になったそうです。
もしもわたしがあの団地の住人だとしたら、何であんなところに軍人の像があるんだろうと思うどころか、日常生活に溶け込んだ存在であり、像の存在すら意識しないと思います。自分が長年、団地で暮らしているので、想像するのたやすいです(笑)

榎本像の背後の団地、都営白髭東アパートはご存知の方も多いでしょうが、大地震で発生が予想される火災から市街地を守る防火壁として配置されています。
こちらのサイトであの団地についてわかりやすく紹介されています。

いくら旧木母寺の旧境内とはいえ、あの場所は立っているのは武揚さんにとって気の毒な気がします。(勝さん像が隅田川の川辺にどーんと立っているのを見ると余計に…)
もっといい場所、例えば墨堤植桜之碑の近くとかに移設してほしいものです。

ここまでひたすら墨堤通りを北上しましたが、少し引き返し、墨堤通り沿いにある鳥居をくぐって、隅田川神社にお参りしました。
こちらも榎本像同様、はじめに鳥居ありきで、後から団地が建てられたのでしょう。
参道は団地の巨大な防火扉の向こう、非常時の避難場所である東白鬚公園に続き、やがて境内にぶつかります。
昔は「水神社」と呼ばれ、「江戸切絵図 幕末人物・事件散歩」によると在原業平が「何しおわばいざ言問わん都鳥わが思う人はありやなしか」と詠んだそうですが、ここも往時の面影はありません。
本殿はごく普通だったので、墨堤通りに面した鳥居の写真を置いておきます。(鳥居の向こうに見えるのが防火扉です)
隅田川神社の鳥居

それから、更に引き返し、先程は通り過ぎた白髭神社にお参りしました。
ここも隅田川七福神の一つで、寿老神が祀られています。
神社の脇の旧墨堤の道に大型バスが何台も止まっていて、大勢の人(ほとんど女性)が本殿の前にいました。
バスの正面に掲げられたツアー名(?)を見たら、何か邦楽(ポピュラー音楽でなくて、純邦楽)のゆかりの地巡りのようでした。
この神社でのわたしのお目当ては、以前幕末ファンの友人と訪れた時にも見た、岩瀬忠震の墓碑(というより顕彰碑)です。
岩瀬の親友だった、永井介堂こと永井尚志が篆額を書いています。
顕彰碑の篆額はただ四角で囲われているだけのものが(わたしが見た限りでは)ほとんどですが、この岩瀬忠震の墓碑は更に二匹の龍で囲われているのが少々変わっています。
岩瀬忠震について、はな。さんのブログでの紹介記事を読むたびに、もっと功績を知られてもいい人だと思います。
岩瀬忠震の墓碑   永井尚志による篆額

白髭神社にお参りした後、向島百花園に行きました。
昨年10月に有志が集まった「榎本武揚を偲ぶ会」に参加した時に行った以来です。
ここも釜さんの向島散策コースの一つです。
7月中旬の百花園はオフシーズンのようで特に目立って咲いている花がありませんでしたが、それでも咲いている花はいくつあったので、写真を撮ってきました。
左はおいらんそう(どこがおいらん?)の花、右ははまなすの実です。
はまなすは、函館の土方歳三最期の地碑のある小公園に咲いていたのを思い出します。(初めて函館に行ったのが7月だったので)
おいらんそう  はまなすの実

ここにも釜さんが篆額した石碑があります。
向島には釜さんが篆額した石碑が、先程ご紹介した三囲神社にある碑、墨堤植桜之碑、百花園だけでなく、(今回は訪問しませんでしたが)隅田川七福神の一つ、多聞寺にあるので、合計4つあります。(他にもあるかも?!)
本当に釜さんは向島に根ざしていたんだな…と思います。
釜さんが篆額した碑を見比べたところ、墨堤植桜之碑と百花園の石碑は「梁川榎本武揚篆額」と銘がありましたが、三囲神社の石碑には「勲一等子爵榎本武揚篆額」とありました。
これは私人として書いたもの、公人として書いたものの違いでしょうか。
向島百花園の梁川篆額の碑

話を戻しまして…平日だったので百花園は人がまばらでしたが、そのためか園内の茶屋(創業者の子孫が今でも経営しているのに驚き)が開店休業していました。
持ってきた飲み物が底をついてきたので、茶屋でサイダーでも買おうと思っていたので、ガックリしました。
自転車を返す時間が迫ってきたので、百花園を出ました。

自転車を「枕橋茶や」に返す前に、長命寺の桜もちを食べました。
程よい甘さのあんこと、程よい塩加減の桜の葉の組み合わせが江戸っ子の好みに合います。
わたしは葉を一枚つけた状態で頂きました。
咽喉の渇きもお茶を頂いたので、癒されました。
江戸時代から続くこの味、これからも受け継がれていってほしいです。

返却予定時間を少々オーバーして「枕橋茶や」に自転車を返しました。
一人で広い範囲を散策するのに自転車ほど便利なものはないな~と実感しました。
また向島に行く機会が出来たら、また「枕橋茶や」でレンタサイクルを借りようと思いました。
(実は日野にもレンタサイクルがあればいいのに…と前から思っています)

それから、浅草に来ながら、浅草寺にお参りしないのは野暮でしょう、ということで浅草寺にもお参りしました。
平日にもかかわらず、浅草は観光客が多く、にぎやかで、人がまばらだった向島から来た目にはくらくらしましたが、これでもまだ人が少ない方なんだろうなと思いました。
仲見世のお店を見ていると色々と欲しくなりましたが、後のことを考えて我慢しました。
でも、仲見世から一歩入った通りでアイスキャンディーを売っていたので、思わず買ってしまいました。
自転車であちこち走り回ってほてった体に、アイスキャンディーは実に美味しかったです(笑)

浅草寺は本堂が修復工事中で、工事用の櫓?に建物全体がすっぽりと覆われているだけでなく、本堂の中も工事中モードでした(汗)
参拝はできましたが、風情は損なわれていました。
実は浅草寺に一人でお参りに来たのは初めてだったので、本堂だけでなく他の堂にも参拝したり、境内を散策したかったのですが、さすがに疲れていたので、本堂だけにしました。

最後は、浅草六区にあるる「蛇骨湯」に入りました。
「JIN─仁─」にも登場した、江戸時代から営業している銭湯です。「JIN」では仁が坂本龍馬と一緒に朝風呂に入りました(笑)
蛇骨湯が現在も営業しているのは「JIN」のコミックスの作者コメントで知っていましたが、浅草に銭湯があるかググっていたら、蛇骨湯が引っかかってきたので、これはサイクリングの帰りに行くしかない!と思いました。
浅草の蛇骨湯
蛇骨湯は狭いですが、露天風呂、ジェットバス、電気風呂があります。しかも、本物の温泉です。東京の温泉なので、お湯の色は茶色く濁っています。
またお風呂の壁面には今では少なくなった富士山の壁画が描かれています。これまた本物を見るのは初めてでした。
普段、狭い内風呂に入っているので、広い湯船で手足をのびのびできて、サイクリングで酷使した足を揉みほぐすことができて、実に気持ちよかったです。
こういうことは一人で行くからできるんですよね…

蛇骨湯は浅草駅より田原町駅の方が近いので、田原町から東京メトロ銀座線に乗って、帰途に着きました。
一人散策の醍醐味を味わった一日でした。
向島でまだ行ったことのないエリアもあるので、また機会を改めて行ってみたいです。
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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