Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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向島をサイクリング(その1)

榎本武揚像と井上トロ(笑)
レンタサイクルで向島をサイクリングしました。
自転車だと、範囲の広い向島がらくらく廻れました。
画像は榎本釜さん(の立像)と井上トロです(笑)
今は浅草の銭湯に入って、さっぱりしたところです。

※久しぶりに詳細なレポを書きました。
長文なので二つの記事に分けました。
「続きます…」からどうぞ!

向島は榎本釜さんに大変ゆかりのある地域、ということで昨年、幕末ファンの友人・知人と共に2回散策に行きましたが、今回は一人で気ままに、現在無職なのをいいことに平日に行ってみました。
以前の向島散策はレポにしていないので、今回はガッツリ書きます。

過去に2回向島に行って、釜さんの散策コース・向島百花園や釜さんの旧宅跡と、釜さんの立像がある梅若公園の間の距離が結構あるのを実感し、一人で歩くのはちょっと厳しいな…と思っていたので、今回はレンタサイクルを利用しました。
隅田公園(墨堤側)のすぐ近く、枕橋の袂にある「枕橋茶や」というお店がレンタサイクルを行っていて、そこで借りました。
11:30から16:30まで利用可能で、平日は500円、土日祝日は1000円で借りられます。
利用可能時間をフルに使って、向島を自転車で走り回りました。
わたしは自転車に乗り慣れていて、自宅から勇さんの生家跡&菩提寺まで自転車で片道45分飛ばしたこともあるので、向島を自転車で散策するのはとても楽ちんでした。

また、今回の向島散策にオランダにも同行した、わたしの一人旅の相方、井上トロ@どこでもいっしょを連れて行きました(笑)
トロがわたしの代理として、今回の向島レポにたびたび登場しますので、生暖かく見守ってやってください。

当日の朝、雨が降っていましたが、天気予報は雨のち曇りだったので、出発地点の浅草に着く頃には雨も上がるだろうと思い、家を出ました。
浅草に着いた頃には雨は止んでいて、散策の途中では時折日が差しました。(わたしって本当に晴れ女!)
太陽が出ていないため、ここ数日よりは気温が低かったので、それほどバテずに済みました。

レンタサイクルを借りる前に、まずは浅草から隅田川にかかる吾妻橋を渡ったところにある墨田区役所前の、水上バスからも見える勝(海舟)さんの立像を見ました。
勝さんの立像は以前にも見ましたが、その時は日没を過ぎてライトアップされていたので、今回初めて日中に見ました。
勝さんの立像の近くには詳細な年表(案内板)も立っていました。
トロも勝さんと共に海の向こうに?思いをはせてみました(笑)
墨田区役所前の勝海舟像  勝さんと井上トロ@どこでもいっしょ

それから、墨堤側の隅田公園に行きました。
ここは江戸時代は水戸藩の下屋敷、明治時代からは水戸徳川家小梅邸として、関東大震災で全壊するまで水戸徳川家当主が代々住んでいました。
小梅邸が水戸徳川家の本邸で、松戸の戸定邸は別邸です。
戸定邸はフランス好きの徳川昭武が建てたにしては純和風な建物なので、ちょっと意外だと思いましたが、小梅邸には洋館もあったそうなので、昭武のフランス趣味は本邸で発揮されていたのでしょう。

関東大震災後、小梅邸跡は隅田公園として整備されました。
現在、小梅邸の面影は日本庭園や築山で偲ぶことができます。
旧水戸徳川家小梅邸跡の庭園(隅田公園)

明治8年(1875年)に明治天皇が小梅邸に行幸し、東京で始めての宮中花見をされたそうです。
その後も明治天皇は何度も小梅邸に行幸しています。余程、小梅邸が気に入られたのでしょうか。
公園内にはもちろん?行幸の記念碑が建てられています。

園内の広場でペタンクをやっているグループを見かけました。
ペタンクは南仏発祥の球技で、わたしはフランスを旅行した時にプレイしている人たちを公園で見かけたことがありますが、日本で見かけたのは初めてだったので、思わずプレイしている人に声をかけてしまいました。
ちょっとだけフランス気分を味わいました(笑)

それから隅田公園に隣接している牛島神社にお参りしました。
元々は、長命寺の近くにあったそうですが、関東大震災後に現在地に移転したそうです。
境内の撫牛は、体の悪いところと同じところを撫でると病気が治ると言われていますが、わたしが見た時は他の参拝者が撫でていたので、撫で損ねてしまいました。
牛島神社

そうするうちにレンタサイクルの貸出時間が近づいたので、「枕橋茶や」に行って自転車を借りる手続きをしました。
お店には可愛い犬(トイプードル)が二匹いて、トロと一緒にしばらく遊んでしまいました(笑)
レンタサイクルは色違いで3台あって、そのうち一番目立っていた黄色い自転車を選びました。
普段はママチャリタイプの自転車に乗っているので、今時のデザインの自転車に乗れてうれしかったです。(自転車の写真は後ほど)

初めは隅田公園を走って足慣らししてから、いよいよ向島エリアに入りました。
隅田公園から向島への入口と言える言問通りに入るのに、公園の上を通りが立体交差しているため、自転車では大回りするハメになりました。(歩きだと大回りしなくてもいいんですが…)

はじめに「すみだ郷土文化資料館」を見学するつもりでしたが、午後12時近くなっていて、お腹がすいていました(笑)
枕橋茶やで頂いた「向島花街マップ」を片手にランチできそうなお店を探した末、「Mikino」という洋食屋に入りました。
向島花街マップでは「和モダンな空間」な店として紹介されていましたが、わたしから見れば普通の洋食屋でした。
ここでは和風ハンバーグランチを注文しました。一人暮らしだとハンバーグを作るのが面倒なので、久しぶりにどう見ても手作りのハンバーグを食べられてうれしかったです。
ただ、外はそれほど暑くなかったのに冷房がきつかったのが、ちょっと難点でした。肩には手ぬぐい、腰にコットンのマフラーを巻いて、冷房をしのぎました。

お腹が満たされたので、すみだ郷土文化資料館に行きました。意外にここで時間を取りました。
まず建物の1階にある「すみだおもしろ人物発見」というPCのタッチパネルでの、墨田区ゆかりの人物紹介に夢中になってしまいました。
子供向けですが、なかなか凝ったデザインでした。
榎本釜さんをはじめ、伊東玄朴、岩瀬忠震、江川太郎左衛門、勝海舟、三遊亭圓朝、尺振八、成島柳北(五十音順)など、幕末または幕末から明治にかけて活躍した人が紹介されていました。
そのうち、尺振八のコーナーで見た、洋装の写真が印象的でした。この人はフランスにしか行かなかった幕末の第二回遣欧使節に英語の通弁として参加し、洋装、しかも丁髷をほどいた長髪で写真を撮りましたが、「洋装で写真を撮るとはけしからん」と上からお咎めを受けたそうです。
でも、同じ使節団のメンバーで着物の内にYシャツを着て、写真を撮っている人が何人かいます。(ちくま学芸文庫「幕末 写真の時代」参照)この人たちはセーフだったんでしょうか?

話を元に戻しまして…2階には明治末年の、花見で賑わう墨堤を再現したジオラマがあり、10分ごとに墨堤の一日が繰り広げられる演出がありました。
また墨堤ゆかりの人物紹介コーナーもあり、もちろん釜さんもいました。

「隅田川の花火展」という特集展示が開催されていて、隅田川での花火の様子を描いた江戸から明治にかけての錦絵や銅板画が展示されていました。
石川英輔さんの江戸ものの本で、江戸時代の花火は現代のものに比べて色数が少なかったが(せいぜい赤)、明治になって化学薬品が輸入されるようになってから、それまで出せなかった色が出せるようになったと知りましたが、江戸時代と明治時代の錦絵を見比べると、花火の色の変化がよくわかりました。
2階には隅田川レガッタの展示もありましたが、それよりわたしの目を引いたのは、東京大空襲の被災者が、当時の記憶をたどって描いた絵の展示でした。

何度もこのブログに書いていますが、わたしの母の実家は東京大空襲で被災しました。
当時、1歳だった母は長姉(わたしにとって伯母)の背中に負ぶわれ、火の海の中を逃げたそうです。
母の家族(両親、母を含めた6人きょうだい)は助かりましたが、母の父(わたしにとって祖父)の兄弟は行方不明のままだそうです。
母が東京大空襲の戦火をくぐったおかげで、今、わたしがこうして生きているので、東京大空襲は人事ではありません。

被災者の方が描いた絵は、大空襲から何十年も経ってから描いたとは思えないほど、生々しいものばかりでした。
それだけ被災者の記憶に鮮烈に残った、ということでしょう。
伯母が生きていたら、同じような絵を描いたかもしれません。(母を負ぶって逃げた伯母はすでに亡くなっています)
絵を描いた被災者の方は空襲で家族の誰かしらを失ったそうです。また、自分が集団疎開していた時に、東京に残っていた家族が空襲に遭って死に、自分と生き残ったきょうだいは親戚をたらいまわしにされた、という方の体験談も紹介されていました。
その点で、大空襲に遭いながらも、家族全員生き残った母の実家は奇跡としか言いようがないと思いました。(もっとも、戦後すぐに祖父が亡くなったので、祖母は子供6人かかえて苦労したそうです)

3階では「東京大空襲─個の記憶・町の記憶」という企画展が開催されていました。
墨田区は東京大空襲で壊滅的な被害を受けましたが、そのうち旧本所区石原町・亀沢町(現在は墨田区石原・亀沢、江戸東京博物館の東側)が空襲を受ける前の町の様子を、当時の町の住人の記憶や、残された記録・映像資料を基に検証していました。
本所は江戸時代禄高の少ない旗本や御家人が住んでいましたが(勝さんや赤松大三郎もその一人)、昭和の初めは工場数が東京35区内でトップの工場地帯で、石原町は小規模な町工場や商店が混在していました。
当時の住人が描いた表通りの、生活感あふれる商店の絵や、町にどんな店や工場があったか詳細に書きこんだ地図を見て、多分、母の実家と祖父が経営していた町工場があった深川住吉町(現・江東区住吉)もきっとこんな雰囲気だったんだろうな、と思いました。
下町の人々の暮らしを、東京大空襲は恐ろしいまでに破壊しつくした、と言っても過言ではないでしょう…
この展示を見たことを、母に伝えたのは言うまでもありません。

展示を見た後、おみやげコーナーで「すみだの文化財マップ」と明治30年頃の墨堤の手彩写真のポストカードセットを買いました。
墨堤の手彩写真は、桜の花の色の塗り方が適当なのが笑えました。でも、釜さんが散策していた頃の墨堤の風景を偲ぶことができます。
また、すみだの文化財マップは釜さんの旧宅跡(向島寮)の住所が載っていて、お役立ちでした。

三囲神社の本堂 それから、隅田川七福神の一つ、三囲(みめぐり)神社にお参りしました。
浅田次郎の「憑神」では、釜さんや、勘定奉行を務めた川路聖謨がこの神社に願掛けして一躍出世した、という設定になっています。
もっとも、主人公は偽の「三巡神社」にお参りしたゆえに、貧乏神に取り付かれてしまいますが…(苦笑)
前回の向島散策では前を通りかかっただけで、お参りするのは今回が初めてでした。
境内には本堂だけでなく、七福神の大黒天と恵比寿を祀った社、お稲荷さん、句碑、京都三井家ゆかりの三本柱の鳥居と社(こちらは立ち入り禁止)などが点在していて、まるで小宇宙のようでした。

境内を歩いていたら、釜さんが篆額した石碑を見つけました!
向島には釜さんが篆額した石碑が点在しますが、三囲神社にあるのは初めて知りました。
三囲神社の石碑は明治29年に建立されたそうですが、釜さんが誰のために書いたのかわかりませんでした。(ご存知の方、情報お待ちしています)
わたしにとっては、顕彰碑などこの手の石碑は篆額した人はわかっても、篆額に何と書いているか読めないものが大変多いです。
三囲神社の榎本武揚篆額の碑  三囲神社の榎本武揚篆額の碑

三囲のコンコンさん 本堂の近くに「三囲のコンコンさん」と呼ばれる狛狐が二匹います。
享和2年(1802)に奉納されたそうなので、釜さんは当然このコンコンさんを見たでしょう。
わたしと同じ時間帯に、寺社巡りが目的と思しき中高年の男性四人組が境内を散策していて、コンコンさんの前で話しかけられました。
(平日に女一人が神社をふらふらしてたら、何だと思うでしょうね~)
そのうちの一人がコンコンさんを気に入ったらしく、写メして、仲間内に送ったり、携帯の待ち受け画像にしたそうです(笑)
このコンコンさんは(「阿吽」の)「阿」です。

「向島をサイクリング(その2)」に続きます…
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*Comment

 

>8月10日にWEB拍手してくださったEさん

こちらこそご無沙汰しています。
以前、向島にお住まいだったのですね~
向島は歴史スポットの宝庫なんですよ。
わたしも向島に縁の深い、榎本武揚のファンになって初めて知りました。
機会があったら、ぜひ向島を散策してみてくださいね。
  • まやこ 
  • URL 
  • 2009年08月11日 19時35分 
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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