Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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澤太郎左衛門と和食

先日、有志による「榎本武揚を偲ぶ会」に参加いたしました。
一次会は榎本さんに縁の深い向島百花園(御成座敷)、二次会は浅草の某居酒屋でドロンケンしました(笑)
酒の勢いだけでないでしょうが、釜さんの話だけでなく、ブログではとても公開できない内容のぶっちゃけた幕末トークが炸裂しました。
いつもブログを拝見していて感じていましたが、皆さんお詳しいので圧倒されました。
榎本さんを偲ぶ会については、幹事のはな。さん、参加者のAkiさんまちさんが詳しくレポされているので、皆さんのブログをご覧いただけるとよいかと思います。
他力本願で申し訳ありません

さて本題に入りまして、今回の記事は榎本さんを偲ぶ会で話したネタの一つです。
わたしは口下手でうまく話せなかったので、文章にしてみました。(というか元々記事にする予定でしたが…)

再び地元の図書館から『幕末オランダ留学生の研究』を借りました。
オランダ留学生の下宿先の再確認のためです。
この本はネタの宝庫なので(笑)、金銭的に余裕があったら購入したいですが、古本でも1万円以上するので、今のわたしにはとても手が出せません。

以前、この本に載っている「澤太郎左衛門がスヘフェニンゲンで海水浴」のエピソードをご紹介しました。(それを読んで、本当にスヘフェニンゲンに行ってしまったわたしって…)
今回ご紹介するのは澤さんの優しい人柄を感じさせるエピソードです。

澤さんはオランダ留学中に何度も和食を作って、留学生仲間やオランダにやって来た日本人にごちそうしています。
『~の研究』を読む限りでは、澤さんは4回も和食を作っています。
この本に載っている記録以外にも、澤さんは和食を作っているかもしれません。

1回目:1864年6月8日(以下西暦)
この日は澤さんの長男、鑑之丞の誕生日なので、そのお祝いとして「鰻の蒲焼」を作りました。
赤松大三郎が澤さんの下宿を訪れ、蒲焼をごちそうになりました。
赤松は離日以来、口にしていなかった蒲焼を久しぶりに賞味することができました(笑)

2回目:1864年11月26日
伊東玄伯と林研海がオランダ北部の軍港、デン・ヘルダーの海軍病院に赴くので、澤さんの下宿に伊東、林、釜さん、赤松が集まり送別会を開きました。
澤さんは下宿先(ベフト方)の職人、レインに「鰻飯」と「豚鍋」を作ってもらい、香の物は澤さん自身で(!)作りました。
集まったメンバーはブランデー、苦味ビール、白ワインを飲んで、ドロンケンしたそうです(笑)

3回目:1865年1月27日
この日は和暦の元治二年元旦でした。
年賀に訪れた職方の中島兼吉に、澤さんは昼食に「餠」「蒸し豚の和風煮付け」「まがいものの雑煮」をご馳走し、お屠蘇の代用品としてキュラソーを出しました。

4回目:1865年2月26日
この頃、日本から肥田浜五郎、布施鉉吉郎、飯田心平がオランダに来ていたので、澤さんは彼らに和食をごちそうしようと、食材を下宿先の職人のレインと一緒に買出しに行き、レインに「鰻の蒲焼」「さしみ」「照り焼き」「香の物」を作ってもらいました。(「香の物」は澤さん自身が作ったかも)
作った料理は夕食に肥田、布施、飯田にご馳走し、釜さんも呼ばれて一緒に食べました(笑)
肥田たちはオランダに来たばかりで、パンや乳製品、じゃかいも中心のオランダの料理に慣れていなかったでしょうから、澤さんの心遣いはきっとうれしかったと思います。

このことを「榎本武揚を偲ぶ会」で話したところ、澤さんが和食を食べたいから、誰かにご馳走する口実で作ったのではないかという意見がありました。確かにそうかもしれません(笑)
でも、自分だけ食べるのではなく、他の人に振舞うところが、澤さんの優しいお人柄を感じさせます。

今のオランダでは(地域にもよるでしょうが)日本食の食材は割と簡単に入手できるそうです。
140年前のオランダではどうだったのでしょうか。

ハーグは海が近いので(スヘフェニンゲンは元々漁港でした)、新鮮な魚は簡単に手に入ったと思われます。
澤さんは肥田たちに日本食を作った時は、スパイ大通りの魚市場に出かけて鮭とうなぎを買っています。
この時、鮭と、二尺ほどのうなぎを18尾買ったそうですが、これを5人で食べたなんて…どういう胃をしてるんでしょう(笑)

鰻の蒲焼や豚鍋を人に作ってもらうにあたって、澤さんが作り方を教えたのでしょうが、澤さん自身が日本で料理したことがあったんでしょうか。

香の物はラメナスというわさび大根の類や、ラディスという蕪で作ったそうです。
ラメナスについてはこちらのサイトに写真が載っています。
鰻の蒲焼や豚鍋といったメインデッシュは作ってもらっているのに、香の物は澤さん自身が作っているのは、多分「香の物」の存在をオランダ人に理解してもらえず、自分で作らざるを得なかったからだと思われます。

「鰻飯」は鰻丼もしくは鰻重のことですが、いずれにしてもご飯(米)が必要です。
140年前のオランダで米が手に入ったのかわからないと「榎本武揚を偲ぶ会」で話したら、バタービア経由で入ってきたのではないかとのご意見を頂きました。
確かにインドネシア料理にはご飯が欠かせません。
わたしもハーグとアムスでインドネシア料理の付けあわせで白いご飯を食べましたが、パラパラした長細いお米でした。
でも、異国の地で白いご飯が食べられてうれしいのは今も昔も変わりがありません。

オランダでお米は手に入ったとしても、もち米ではなさそうなので、餠は作れなかったと思います。
餠は日本からの便りと一緒に送ってもらったのでしょうか。

和食に欠かせない食材…というより調味料は何と言っても「醤油」です!
醤油さえあれば、海外の口に合わない料理も食べられるようになると言って過言ではありません。わたしもパリで体験しています。
『幕末遣欧使節団』(宮永孝・著)によると、最初の幕府の遣欧使節団はハーグ市内で日本製の醤油を購入したそうです。ただし、値段は相当高かったそうです。
また、小栗上野介が加わっていた遣米使節団は帰路で日本から持ってきた醤油が底を尽き、寄港したバタービアで醤油を大量に購入しています。
バタービアでの醤油の価格はハーグほどではないにしても、日本よりは高価だったそうです。

澤さんは支給された御用金からやりくりして高価な醤油を買って、仲間のために和食を作る時だけ、ここぞとばかりに大切に使ったんでしょうね。
澤さんをはじめオランダ留学生は当初アメリカに留学する予定でしたが、もしアメリカに留学していたら、アメリカで醤油を入手するのは難しいと思われます。
その点では留学先が日本との通商の歴史が長いオランダに変わって良かったのかもしれません。

澤さんが何度も鰻の蒲焼を作ったのは、ハーグで鰻も醤油も手に入ったからだと思われます。
この記事を書くにあたって、ネット上で鰻飯の画像を見ていたら、久しぶりに鰻重が食べたくなりました(笑)
久しぶりにかいだ醤油の匂いに感動しつつ、鰻飯を食べる仲間を笑顔で見守る澤さんの姿が目に浮かぶようです。
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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