Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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和蘭旅行記 2008年9月15日(月) 其ノ弐

「2008年9月15日(月) 其ノ壱」の続きです。

アンネの家の近くの通りからトラムに載って、レンブラント広場に移動しようとしましたが、なかなかレンブラント広場方面に向かうトラムが来ませんでした。
やっと来たトラムに乗っても、東京ほどではありませんが、アムスは車も人も、そして自転車も多く渋滞していて、トラムはスムーズに進みません。

レンブラント広場には、レンブラントの立像と、アムステルダムの国立博物館に展示されている「夜警」を元にした群像がありました。
レンブラントの像より、「夜警」の群像の方がインパクトがあって、写真を撮っている人が結構いました。
ここに来たのは像が見たいのではなくて、広場の近くを流れるアムステル川沿いにある、赤松大三郎のアムステルダムでの下宿先を探すためでした。

赤松の下宿はあっさり見つけることができました。
『幕末オランダ留学生の研究』に「レンブランド広場に近いBlauwbrug(青い橋の意)よりアムステル川を北に沿って1、2分のところ、橋の角の家から9軒目の建物、ワーヘンストラート(Wagenstraat)とアムステル(Amster)河岸が交差する角にある」と説明があり、下宿の写真も載っていましたが、写真で見た通りの建物がちゃんとありました!

ハーグでは内田恒次郎の下宿以外、留学生の下宿先は約140年前に住んでいた建物でなくなっていたので、アムスの赤松の下宿が昔のままだったのは心底うれしく、写真を撮りまくりました(笑)
赤松はこの建物の2階(日本式)に住んでいたそうです。
建物の正面には建てられた年「1616」が掲げられ、地上階は時計店になっていました。
あいにく店は閉まっていたので、ショーウィンドウの時計のみ撮りました。でも、扱っている時計のデザインはスタイリッシュすぎて、わたし好みではなかったです。
赤松大三郎のアムスの下宿(その1)  赤松大三郎のアムスの下宿(その1)

下宿の前をアムステル川が流れています。
赤松はアムステル川を見て、深川の実家の近くを流れる小名木川を思い出したかもしれません。
下宿のある河岸は古い趣のある建物が並んでいて、風情がありました。
下の左側の写真はは、アムステル川の河岸で右端の建物が赤松の下宿です。右側の写真は赤松の下宿の前から眺めたアムステル川です(ハウスボートに隠されて川面が見えませんが)。
赤松の下宿があったアムステル川の河岸  アムステル川の対岸の眺め
アムステル川を挟んで、赤松の下宿の対岸に市庁舎とミュージック・テアトルというオペラハウスが建っています。
ここにはかつて、最初の幕末遣欧使節団や明治の岩倉使節団も見学に訪れた、コスター・ダイヤモンド研磨工場がありました。(今は別の場所に移転しています)
多分、赤松も見学に行ったと思われます。

それから、赤松の下宿から歩いて10分ほどのレンブラントの家に行きました。
途中、ガイドブックにも載っているワーテルローの蚤の市が行われていましたが、時間がなかったので素通りしました。

アムステルダムのレンブラントの家で「夜警」が描かれたそうです。
今は、建物の内部はレンブラントが住んでいた17世紀当時の部屋が再現されています。
わたしが入場した時は、ちょうどエッチングの実演が行われていて、少し見ることができました。
17世紀の貴族の部屋はフランスで見たことがありましたが、庶民の部屋を見るのは初めてだったので、自然と調度品や家具に目が行きました。
ベッドがタンスの中にあったのには驚きました。やはり庶民と貴族とは違うのね~と思いました。
昔、ヨーロッパでは体を半分起こして寝ていたので、ベッドが身長に対して小さめですが、レンブラントの家のタンスベッド(笑)もそうでした。
また、レンブラントが収集して、作品を制作するにあたって参考にしたりインスピレーションの元になったと思われる品々が展示されていました。
古代ローマの胸像、ヴェネツィアンガラスのグラス、珊瑚や蝶の標本、武器…レンブラントの好奇心が反映された品々ばかりでした。
下の写真は左から、レンブラントの家の外観、レンブラントのタンスベッド(ピンボケで失礼)、アトリエです。
レンブラントの家  レンブラントの家のタンスベッド  レンブラントのスタジオ

レンブラントの家ではエッチングが多数展示されていたので、じっくり見ました。
エッチングはレンブラントが一人でちまちまと楽しみながら制作したように見受けられました。
線に迷いがなく、線だけでここまで表現できるのか…!と線画の無限の可能性を感じました。
レンブラントの絵に対する貪欲さは、北斎に通じるものがあると思いました。

それから、レンブラントの家から歩いて5分ほどのところにある、ニューマルクト広場に行きました。
この広場、Niewmarkt(ニューマルクト)38番地にある建物が、鍛治師(職方)の大川喜太郎の下宿…終焉の地です。
大川の下宿もあっさり見つけることができました。
現在は地上階はインドネシア料理のテイクアウト専門店になっていました。
わたしは大川にはあまり思い入れはありませんが、あんなきついユネバーを飲んだ末に肝炎になって、異国の地で亡くなったかと思うと、いたたまれない気持ちになりました。
大川の下宿に向かって手を合わせました…
大川喜太郎のアムステルダムでの下宿  大川喜太郎の下宿の地上階

ちなみにニューマルクト広場からアムステルダム中央駅にかけては中華街になっているので、大川の下宿先の建物にも漢字で広場の名前が掲げられています。(「新廣場」ってそのまま!)
また、あの「飾り窓」地区も近いですが、わたしは見物すらしませんでした。

ちなみに『~の研究』掲載のアムスの地図はこちらです。(別窓で開きます)

ニューマルクト広場からレンブラントの家に戻り、隣のカフェでアムステルダム在住の知人のKさんと待ち合わせしました。
まずはレンブランド広場近くのカフェでお茶しました。
先程レンブランド広場に行った時は、赤松の下宿を探すのに頭が一杯で気に留めていませんでしたが、広場の周りにはカフェやレストランがたくさんありました。

それからレンブラント広場から少し歩いたところにある、Kさんお勧めのインドネシア料理のレストランに連れて行ってもらいました。
一人ではとても入れそうにないシックな内装のお店でした。
アムスで食べたインドネシア料理ナシ・ラムス(?)というお肉と野菜、ご飯の盛り合わせにハイネケンを注文しました。 (食べかけで失礼)
お肉はわたしにはスパイシーな味付けでしたが、単に辛いだけでない深みのある味でした。
日が落ちてきて、外はコートを着ないと歩けないほど寒くなっていたので、カプサイシン効果で体が暖まって良かったです。
前日にテイクアウトしたインドネシア料理もそれなりに美味しかったですが、やはり高級なレストランの盛りつけは違うと思いました。

Kさんと直接お会いするのは初めてでしたが、初対面とは思えないほど色々とお話しました。
ずっと持ち歩いていた石田散薬もお見せしました(笑)
せわしないアムステルダムの街を歩き回って疲れていたので、ハイネケンを飲んですっかりドロンケンになってしまいました。
帰りはアムステルダム中央駅までKさんに送っていただきました。
月曜日にもかかわらず、アムステルダムは夜でも賑やかでした。(むしろ夜の方が賑やかなのかも…)
Kさんには半ば無理やり付き合ってもらった上、アムステルダムでインドネシア料理を食べたい、というわたしのリクエストに応えていただき、本当に感謝しています。
Kさん、ありがとうございました!

アムステルダム中央駅からハーグに止まるインターシティ(急行列車)に乗ったはいいものの、猛烈な眠気が襲ってきました。
ここで寝ては絶対まずい!と思い、水を飲んだり、レストランでもらったペパーミントキャンディを食べたりして、必死に眠気をこらえました。

ようやくハーグだ~と列車から降りたら、ホームの雰囲気がわたしが出発したハーグ中央駅が違うのに気づきました。ホームは高架で、煉瓦造りの建物がありました。
ハーグ中央駅のオランダ鉄道のホームは高架ではなく、煉瓦造りの建物もありません。
違った駅に降りてしまった! 
わたしの眠気と酔いが一気に醒めました
どこの駅に降りてしまったのか、普通ならホームで確認するところですが、降りる人の流れに乗って、ホームの階段を下りてしまったので、ひとまず駅の外に出てみました。(オランダも含めて、ヨーロッパの列車の駅には改札口がありません)
近代的な外観のハーグ中央駅と対照的な、煉瓦造りの駅舎がどーんと建っていました。
わたしが降りたのは、ハーグHS駅という駅だということがわかりました。

ハーグ中心部にはオランダ鉄道の駅が二つあります。ハーグ中央駅とハーグHS駅です。
ハーグ中央駅の方が中心部に近いので、わたしはスキポール空港から来た時と、アムステルダムに行く時にこの駅から乗り降りしました。
でも、路線によってはハーグ中央駅でなく、ハーグHS駅に止まるのがあり、どうやらわたしはこれに乗ってしまったようです。
ちなみに、幕府の最初の遣欧使節団はハーグHS駅(当時は「オランダ鉄道駅」)からハーグに降り立ったそうです。

自分が降りたのがハーグHS駅だとわかって、一安心しました。
旅行前にネットでハーグのトラムの路線図を調べて、ハーグHS駅前の停留所からもトラム1本で(泊まる予定の)ホテルの近くの停留所に行けることを知っていたからです。
ルートとしては、ハーグHS駅~ハーグ中央駅~ホテルです。
幸いにも、すぐにホテルに向かう方向のトラムが来たので乗り、無事にホテルに帰れました。
すっかり酔いと眠気は醒め、日本で下調べしておいてよかった~と心底思いました。

まだまだ続きます…
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  • 2008年10月13日 16時18分 
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>鍵付コメントしてくださった方へ

その節は大変お世話になりました。
後ほどメールにてお返事しますね!
  • まやこ 
  • URL 
  • 2008年10月13日 19時32分 
  • [編集]

 

日本では印象派の方がウケがいいようですが、レンブラントの方が私は好きです。上野で昔レンブラント展をやった時見に行きました。タンスベッドはユニークですね。周りに飾ってあるのはレンブラントの絵ですか(本物?)国内ならケータイのナビウォークが使えますが、知らない土地で迷子になるのは不安ですね。トラムって何ですか?
  • 三浦あぼりじに 
  • URL 
  • 2008年10月14日 22時11分 
  • [編集]

 

>三浦あぼりじにさん
わたしも印象派よりもレンブラントの方が好きです。
日本だけでなくルーブル美術館や、ウィーンの美術史美術館でレンブラントの絵を見たことがありますが、レンブラントの故国で彼の作品を見ることができて、感慨深いものがありました。

わたしもタンスベッドは初めて見ました(笑)
レンブラントの家に飾ってある絵は、レンブラントや他の画家の絵です。
展示してあった絵のリストがもらえなかったのが残念です。

トラムは路面電車のことです。
オランダのトラムは日本のより車体が細いです。
後ほどトラムの写真をアップしますね。
  • まやこ 
  • URL 
  • 2008年10月14日 23時18分 
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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