Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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天璋院篤姫展

立て続けに幕末関連の展示の記事です。
3月1日に、江戸東京博物館で開催中の特別展「天璋院篤姫展」を見に行ってきました。

今年の大河ドラマは毎週欠かさず、贔屓の俳優が主役だった去年よりもまじめに見ています。
「幕末」が舞台ゆえですが、西洋史でも女性を主人公にした作品(例えばミュージカル「エリザベート」)が好きなので、それもあります。
まるで朝ドラみたいとか、面白くないという意見もありますが、わたしは結構楽しんでます。

でも、わたしは佐幕派で、薩摩についてほとんど知らないので、どこまで史実なんだろうと思いつつ見ています。
尚五郎@小松帯刀が於一@篤姫に片思いしていたり、於一が大久保正助や西郷吉之助と交流があるのは、フィクションなのはわかります(笑)
史実の篤姫について書かれた本を読めばいいのでしょうが、書店の店頭でチェックしても、どれがいいのかわかりません。

「天璋院篤姫展」は史実の篤姫を知りたいわたしにとってピッタリの展示でした。
そして、大河はあくまで史実を参考にしたフィクションだということがよくわかりました。
この先は長文なので、その旨をご了承の上、お読みください。

展覧会では図録を買う代わりに、オーディオガイドを借りて聞くようにしてます。
展示のキャプションには書かれていないことを、オーディオガイドで詳しく説明してくれるのが良いです。
でも、江戸博の前回の特別展(北斎展)では内容がいまいちだったので、今回は借りるつもりはなかったのですが、ナレーターがあの幾島だと知って借りてしまいました。
今回のオーディオガイドは大河のテーマソングをBGMに、幾島が貫禄たっぷりに解説してくれました。

展示のはじめの方で篤姫の実家の今和泉島津家、島津宗家の系図や、何故島津家の姫が御台所に選ばれたのかわかるようになっていました。
島津家についてほとんど知らないわたしにとっては、史実の島津家は驚くことばかりでした。

◇篤姫の父、島津忠剛は島津斉興(島津斉彬の父) の弟。(つまり、斉彬は忠剛の甥で、篤姫の従兄!)
→忠剛は今泉島津家に養子に入って、家督を継いだそうです。

◇島津忠剛には側室が2人いて、大河に登場頻度の高い、篤姫の頼りない?兄は腹違いの兄。

島津家の姫が御台所に選ばれたのは、50人以上子供をもうけて全国の大名にばら撒いた(爆)11代将軍家斉の御台所、広大院の存在が非常に大きかったそうです。
広大院は薩摩藩8代藩主、島津重豪(蘭癖だった方ですよね)の娘で、近衛家の養女になった上で、徳川将軍家に嫁いでいます。
展示を見ていて広大院も「篤姫」という名前だったと気づきましたが、3月2日放送分の「篤姫誕生」で、斉彬がこのことに触れていました。
広大院にあやかって、於一が「篤姫」になったのは史実のようです。

斉彬の手紙が何通か展示されていて、筆跡の美しさが印象に残りました。
一見では男性が書いたものとは思えないほど、柔らかい品のある筆跡でした。
篤姫の筆跡もそれなりに美しかったですが、彼女の使った練習帖も展示されていたので、これで書の稽古をしたから、ああいう風に美しく書けるようになったのか…と思ってしまいました。
篤姫が使った書の練習帖は、もちろん和歌がお手本で、紙のどの位置に書くか細かく定められています。

幾島の手紙も展示されていましたが、かなり男性的な筆跡で、さっぱりした気性をうかがわせました。
展示されていた手紙が篤姫にとってたて続けに不幸が起こった安政5年(1858年・13代将軍家定、島津斉彬が相次いで亡くなっています)に近衛家の老女宛てに書かれたもので、手紙の内容から篤姫を影で支える幾島の苦労が偲ばれました。

家定公は、大河では島津斉彬に「ただのうつけではない」と評されつつも、今のところどう見てもうつけにしか見えません(爆)(堺雅人さん、上手いですね…)
展示の解説によると、徳川宗家には家定公の筆跡は残されていないそうですが、自筆の絵は何点か残されていて、その内の一点が展示されていました。
松を描いたものですが、この絵を見る限りでは「ただのうつけ」には思えませんでした。
あと、家定公はお菓子作りが趣味で饅頭やカステラをお作りになったそうですが(!)、将軍がこんなだから老中の権力が増してしまう、といった内容の文書が展示されていました。

「天璋院篤姫展」は割と紙ものの展示が多かったので、篤姫の婚礼道具や、身の回りの品々、そして着物(小袖)は目の保養になりました。
2月の頭に「ルーブル美術館展」で見た18世紀仏蘭西の工芸品と比べると華やかさは劣りますが(というより仏蘭西はきらびやか過ぎです)、御台所が使った品だけあって、どれも当時の最高の職人に作らせたと思しき見事なものばかりでした。
大河で貝合わせに興味なさそうな篤姫を見た目には、豪華な貝合道具を見て、本当にこれで遊んだのか?と思ってしまいました(苦笑)
また、お歯黒セット一式が大掛かりなのにはちょっと驚きました。
お歯黒は幕末に日本にやって来た外国人がぎょっとした日本の風習の一つらしいですが、歯をコーティングすることで虫歯予防になったそうです。
大河では篤姫がお歯黒することはなさそうですが…

着物は篤姫だけでなく和宮が着用したものが展示されていましたが、着物の柄に二人の個性がはっきりと表れていました。
和宮が京育ちらしく可愛らしく古典的な柄なのに対して、篤姫は今で言うならモダンですっきりした柄です。
篤姫と和宮の仲は実際はどうだったかのか色々と言われていますが、慶喜嫌いなのは共通しています(爆)
二人が書いた官軍への徳川家存続の嘆願書の内容が紹介されていましたが、二人とも「慶喜はどうなってもいいので、徳川家を存続させてほしい」と書いています。
篤姫が御台所になったのは、島津斉彬が慶喜を(家定公の)次期将軍に推すにあたって、篤姫を通じて大奥に影響を及ぼすためだったのを考えると、どうして篤姫が慶喜嫌いになったのか気になります。

江戸城を出た後、天璋院は東京で住まいを転々としたそうです。
江戸時代は紀州徳川家の江戸中屋敷、今は赤坂御所になっている場所にも住んだことがあったそうで、わたしの今の勤務先が赤坂御所の近くにあるので、あそこに住んだことがあるのか…としみじみしました。
明治時代の天璋院を物語るものとして、明治6年に発行された天璋院の断髪許可証が展示されていました。
現在残っている天璋院の写真はすべて断髪後、つまり明治6年以降に撮影されたものだそうです。
和宮のように断髪前の写真は残っていないのでしょうか…?

大河とタイアップした展覧会なので会場が北斎展以上に混んでいた上、オーディオガイドを聞きつつ、一つ一つの展示品をじっくり見たので、所要時間1時間のところを2時間半近くかかりました。(わたしは展覧会には一人で見に行くことがほとんどです)
徳川宗家の現当主のご挨拶に、歴史関連の展示会はあちこちで開催されているが、一人の女性の生涯に焦点を当てた展覧会は珍しいのではないかとありましたが、日本史上に限ればその通りだと思います。(西洋史なら、実は篤姫と同世代のオーストリア皇后、エリザベートの展覧会が日本で何度も開かれているので…)
今回の展示は大河では決して語られないであろう篤姫のバックグラウンドや内面をうかがい知る数々の史料や品々の実物を見ることができて、個人的には大満足でした。
これでますます、大河を突っ込みながらも楽しむことができそうです。

特別展とは別に常設展示室で「家康・吉宗・家達~転換期の徳川家~」という特集展示も行われています。
特別展と常設展の共通チケットを買ったので、この特集展示も見ました。
徳川家達(いえさと)は天璋院が養育した徳川宗家16代目で、この方について展覧会で取り上げるのは初めてだそうです。
篤姫展について長々と書いてしまったので、こちらの感想は書きませんが、篤姫展を見た後に見るのがお勧めです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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