Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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二度目の浦賀巡り

11月24日に、あるゆさんに誘われて浦賀に行ってきました。
浦賀に行くのは、今年の5月以来です。
本当は10月27日に横須賀で開催のヴェルニー・小栗祭の前に、浦賀を散策するつもりでしたが、雨脚が強かったので、浦賀に足を伸ばすのを断念しました。
なので、あるゆさんから「浦賀に行きませんか?」と誘われて、喜んで承諾しました。

下の写真は西浦賀の愛宕山から眺めた浦賀の海です。
中央の埋立地の向こう側にペリー艦隊が停泊したそうです。
写真左側の小山は、咸臨丸で渡米する前に勝海舟が断食修行した(らしい)明神山です。
愛宕山から眺めた浦賀の海

わたしは史跡巡りは一人で行くことが多いですが、今回はグループで巡りました。
あるゆさん、あるゆさんの知人のHさん、そして何と「咸臨丸子孫の会」の会員さん3人とご一緒しました。

横須賀で咸臨丸子孫の会の方と落ち合ってから、記念艦「三笠」を見に行きました。
10月末にヴェルニー・小栗祭で横須賀に行った時は土砂降りでしたが、今日の横須賀は見事に晴れ渡っていました。
横須賀には何度か行ったにもかかわらず、「三笠」を見るのは今回が初めてでした。

「三笠」は日露戦争において、提督・東郷平八郎が乗艦した連合艦隊の旗艦です。
大正15年から記念館として現在の地に固定、保存されています。
(詳しくは「三笠」の公式サイトをご覧ください)
下の画像は「三笠」と、東郷平八郎の立像です。
記念艦「三笠」と東郷平八郎像

木製の開陽丸に比べると、鋼鉄製の三笠は武骨に見えました。
そして、オーストリア皇太子、フランツ・フェルディナンドが明治26年に来日した時に乗ってきた「エリザベート皇后号」に似てるなと思いました。
「三笠」は1902年にイギリスのビッカーズ造船所で竣工、「エリザベート皇后号」は1890年にポーラの海軍工廠で建造・進水しているので、建造年代が近いといえば近いです。

もちろん、艦内を見学しました。
デッキからは三笠公園の対岸にある(去年の11月にベース見学ツアーで行った)アメリカ海軍基地の居住エリア、少し遠くには東京湾唯一の無人島・猿島、更に遠くに目を向けると、対岸の房総半島が見えました。
日露戦争における日本海海戦で、東郷平八郎が戦闘の指揮をした最上艦橋にも上りました。
ここから海を眺めると、まるで東郷さんになった気分です(笑)
下の画像は、「『三笠』艦橋の図」をプレートにしたものです。
東郷さんをはじめ、幹部の立ち位置も示されていますが、日露戦争や薩摩人に疎いわたしは誰だかわかりませんでした(汗)
「三笠」艦橋の図

艦の内部には当然ながら日露戦争を中心の展示室があります。
東郷さんの軍服が3着(夏服・冬服・礼服?)が展示されていましたが、見るからに小さかったです(汗)
それも道理で、東郷さんは身長が150cmちょっとしかなかったそうです。(徳川最後の将軍と同じ^^;)
常設の展示の他に、戦艦「大和」特別展が開催されていました。
本当はじっくりと展示を見たかったのですが、同行者がいて、浦賀巡りを後に控えていたので、ざっと見るに留めました。
来年の1月に、また横須賀に行くつもりなので、その時にじっくり「三笠」の展示を見たいです。

よこすか開国パレードが通る、横須賀のメインストリートにあるカフェでお昼を食べてから、浦賀に向かいました。
前回の浦賀散策では、先に西浦賀(愛宕山公園や浦賀奉行所跡がある方)に行きましたが、今回はお寺が集まっている東浦賀から先に巡りました。
この先は「浦賀の歴史とふれあう散策ルート」をご覧いただきながら、読んでいただけるとわかりやすいと思います。

まずは顕正寺にお参りしました。
塩分を含んだ潮風のせいかどうか分かりせんが、お寺の墓石の多くが赤っぽく変色しているのが目に付きました。
ここには岡田井蔵(せいぞう)、春山弁蔵のお墓があります。
二人とも浦賀奉行所の出身です。岡田井蔵は中島(三郎助)さんと同じ与力、春山弁蔵は同心です。
岡田井蔵は蒸気方手伝として咸臨丸に乗って渡米し、明治になってからは横須賀製鉄所(造船所)に出仕し、製図部門で活躍しました。
春山弁蔵は幕府軍艦として初の国産蒸気砲艦「千代田形」の船体の構造設計を行いました。また榎本艦隊が江戸を脱走した時の咸臨丸副長でした。
お墓の写真は別頁に載せました。(名前をクリックすると、別頁が開きます)
 ◇岡田井蔵
 ◇春山弁蔵

春山弁蔵のお墓には「清水討死」と刻まれています。(お墓の状態が良くないので、わかりづらいですが)
ご存知の方も多いでしょうが、榎本艦隊は江戸脱走直後、台風に遭遇します。その時に咸臨丸は走行不能になり、船体修理のために清水港に向かったものの、清水港で官軍の軍艦の攻撃に遭い、春山弁蔵は戦死してしまいます。
それが「清水討死」の一言に集約されていると、しみじみ感じました。

それから、中島さんのお墓のある東林寺にお参りしました。
中島さん親子のお墓には5月の浦賀巡りの際にお参りしましたが、その後、中島さんに関する本(小説ですが)を読み、中島さんの人間像をより知ったので、前にお参りした時と違った感慨がありました。

渡し舟に乗って、東浦賀から西浦賀に渡りました。
わずか2、3分の船旅ですが、渡し舟から見る浦賀の外海の眺めは素晴らしいです。
それから、愛宕山に登りました。
今回、ご一緒した方の中にお年を召した方がいらしたので、上まで登れるだろうかとちょっと不安でしたが、しっかりした足取りで登られていたのでホッとしました。

愛宕山ではまず咸臨丸出航の碑を見ました。
この碑の裏には1860年に咸臨丸に乗船して渡米したメンバーの名前が刻まれていて、今回ご一緒した咸臨丸子孫の会の方のご先祖様の名前も載っています。
まさか、咸臨丸の乗組員のご子孫と一緒に、この碑を見ることになろうとは…人の縁の不思議さを感じました。
それから、再び中島三郎助招魂碑を見ました。
この招魂碑の碑文を書いた田辺太一と、中島さんの関係が未だにわからないので、ご存知の方は教えてくださいませ。

二つの碑を見た後は、Hさんお勧めの愛宕山の絶景スポットに行きました。
5月に一人で行った時は気づかなかったのですが、 中島三郎助招魂碑の近くに更に山の上に向かう道があり、愛宕山の裏山から続いている舗装道路と合流していました。
絶景スポットはその合流点の近くにありました。Hさんがコーヒーの準備をして待っていました。
愛宕山公園からだと生い茂った木々に遮られ、浦賀の海は木々の間から見る感じですが(前回の浦賀巡りの記事のトップの画像をご覧ください)、この絶景スポットだと遮るものが何もないので、浦賀の海を見渡すことができました。
11月の後半ゆえ、午後3時半頃で、空が少し夕暮れの色に染まっていました。
この記事のトップの写真が、絶景スポットから見た浦賀の海です。
下の写真は同じ場所から見た浦賀港です。
Hさんが入れてくれたコーヒーを片手に、咸臨丸子孫の会の方と「ここに来て良かったですね」と談笑しました。
愛宕山から眺めた浦賀港


絶景を堪能した後、最近建てられたと思しき住宅地を通って、道なりに山を降りていったら、見たことのある古い団地が目に入りました。
住友重機の社宅もとい浦賀奉行所跡でした。
5月に一人で行った時は方向音痴でないにもかかわらず、少し道に迷ってしまったので、今回は愛宕山の裏道からあっさり行けてしまい、ちょっと拍子抜けしました。

浦賀奉行所跡の説明板をざっと見てから、近くにある寿光院にお参りしました。
普通、お寺は塀などで囲こまれていますが、この寿光院は塀のない開放的なお寺でした。
ここには元浦賀奉行所同心での濱口與右衛門のお墓があります。
濱口與右衛門は運用方として咸臨丸で渡米し、明治になってからは横須賀製鉄所(造船所)に出仕し、多くの艦船の造船に携りました。
お墓の写真はこちらです。(例によって別頁が開きます)

浦賀奉行所の与力・同心には俳諧を嗜む人が多く(中島さんもその一人)、濱口與右衛門も俳句を嗜んでいました。彼は次の辞世の句を残しました。
『雪や月 はなを友なる ひとり旅』

これで浦賀巡りは終わりました。
今回の浦賀巡りは、5月には行けなかった場所、行かなかった場所に行くことが出来て、とても充実していました。
案内役のHさん、本当にお疲れ様でした。
咸臨丸子孫の会の皆さま、ご一緒できて光栄でした。
あるゆさん、またこういう機会があったら誘ってくださいね。

来年もまた浦賀に行くつもりです。
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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