Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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横濱散策(その2)

横濱散策(その1)の続きです。

横浜市開港記念会館を見学した後は、神奈川県立歴史博物館に行ってみました。
神奈川県立歴史博物館

この博物館の建物は、明治37年(1904年)に横浜正金銀行本店として建てられたものです。
横浜正金銀行は太平洋戦争後、東京銀行になりました。今の三菱東京UFJ銀行の前身です。

建てられた当時の内装のまま使われている横浜市開港記念会館とは違い、神奈川県立歴史博物館は外観のみ昔のままで、内部は大幅に改装されています。
フランスでも、パリのルーブル美術館や、パリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レにある国立考古学博物館は、かつて王宮として使われた建物の内部を大胆に改装しています。(ルーブル美術館のリシュリュー翼のリノベーションはすごすぎ…)
博物館では『広重が描いた日本の風景』という特別展が開催されていましたが、特別展はパスして常設展だけ見ました。
もちろん横濱が開港した幕末から明治にかけての展示が目当てです。

古代の神奈川県(というより相模)についての展示はスルーしました(汗)
(古代ローマ世界を知っている身には、古代の日本はあまりにも文明が発達していないように見えてしまうのです^^;)
その後の鎌倉・室町・戦国時代の相模についての展示はかなり見ごたえがありました。
と、言ってもわたしはこの時代には非常に疎いですが、神奈川の歴史において源頼朝が幕府を開いた鎌倉、後北条氏が本拠地を置いた小田原の存在は大きいと、展示を見て感じました。
また、鎌倉の円通寺の舎利殿が、館内にそっくり復元されていたのはちょっと驚きました。
複製だと分かっていても、お堂に手を合わせてしまいました。

江戸時代の相模についての展示では、東海道がいかに相模に大きな影響を及ぼしていたかを感じました。
三家しか大名行列が通らなかった甲州道とは比較にならないほど、交通量が多く、街道筋が活気にあふれていたようです。
また、神奈川県民でないわたしは、ここで初めて江戸時代の神奈川県域は小田原藩と小藩(名前は失念^^;)以外は天領と旗本領だと知りました。
幕末…というより開港関連の展示は思ったより少なかったので拍子抜けしました。
やはり、開国関連の展示は専門の資料館(横浜開国資料館)の方が充実しています。
印象に残ったのは、明治になってから、幕末のオランダ留学生の一人、大野弥三郎が制作にかかわった天秤?ぐらいです。

最近は日本でも品揃えの充実したミュージアムショップが増えてきましたが、神奈川県立歴史博物館のミュージアムショップもなかなか充実していました。
博物館のオリジナルグッズだけでなく、横浜(神奈川県域)にしか売っていない書籍やグッズも色々売っていました。
横浜にしか売っていないモノは色々とあるので、横浜に行くとついついそういうモノを買ってしまいます。
以前から気になっていた『フランス人の幕末維新』(有隣新書)と、「ブルーダル」(ご先祖が横浜が開港した頃に蒸気船に乗って来日したダルメシアン犬、という設定の横浜生まれのキャラ)の来年のカレンダーを買ってしまいました。

それから、歴史博物館の近くにある弁天通に行ってみました。
幕末、この界隈にあった日本最初のフランス語学校「横濱仏蘭西語伝習所」の跡を、東善寺のサイトに載っていた「横浜、弁天池の北隣(現在の中区本町6丁目)」を頼りに探してみました。
大学で4年間仏語を学んだ身にとって、日本最初のフランス語学校は気になります。
また、鳥羽・伏見の戦いの後は伝習所は病院になり、旧幕府軍の兵士を収容したそうです。(江戸に帰還した近藤勇も、この病院に治療を受けに来たそうです)

弁天通は幕末から明治にかけては賑わっていたそうですが、今では何の変哲もない通りです。
幸いにも弁天通についての案内板があり、それに幕末当時の横濱の地図が載っていたので、その地図と現在の所在地を照らし合わせて、多分、この辺に伝習所があったと思われる場所はわかりました。

下記の写真は案内板に載っていた幕末の横濱の地図です。
地図は例によってクリックすると大きくなります。また南北が逆になっています。
college_fj.jpg

地図の中央、入り江に突き出している木立が弁天通の名の由来の「弁天社」(現在は「厳島神社」として元町にあります)、弁天社の南側の「語学所」が横濱仏蘭西伝習所です。
ちなみに現在の地図はこちらです。
横濱のあまりの変貌振りにただただため息です…
横濱仏蘭西語伝習所跡

それから気の向くままに古い建物ウォッチングしながら、ヴァカンス先(笑)のホテルに戻りました。
ホテルの近くの建物の一角に古い大砲が飾られているのを見つけました。
松代藩の大砲

案内板によると、この土地の前所有者(倉庫会社)が新築工事をした時に発掘された3本の大砲のうちの1本で、どうやら松代藩のものらしいです。
嘉永4年(1854年)にペリー艦隊が再来日し、横濱で日米会談が行われた際に、幕府の命で松代藩が横濱の警備を行っています。
当時、松代藩の軍議役だった佐久間象山が大砲を持ってきた、とのことです。

翌日は港の見える丘公園内にあるフランス山に行きました。
わたしはてっきりここが、ブリュネをはじめとするフランス軍事顧問団が幕府の洋式陸軍に伝習した太田陣屋だと思っていましたが、フランス山にある説明板を読んで、それは間違いだと気づきました(汗)
フランス山は1863年から1875年にかけて、横濱の居留地のフランス人の保護と居留地の防衛のためにフランス軍が駐屯していた場所です。
幕末に駐屯していたのは海軍なので、陸軍のフランス軍事顧問団と交流があったかどうかは疑問です。
ここには後にフランス領事館が建設されました。
フランス領事館は関東大震災で倒壊し、昭和5年に再建されましたが、昭和22年に火災に合い、現在は焼け残った1階部分だけが残されています。
建物脇に立っているのは、井戸水をくみ上げるための風車(復元)です。写真だと分かりにくいですが、羽の色はトリコロールです。
フランス山のフランス領事館跡と風車

山手に行ったので、もちろん山手の洋館も見ましたが、全く幕末と関係なくなってしまうので、ここでは書きません。
これまで横濱は友人とただ遊びに行くだけで、歴史ファンの視点で街を見て廻ったことがほとんどなかったので、今回暑い中、じっくり見て廻って、幕末の頃とは街並は大きく変貌したとはいえ、街のあちこちに開国の歴史が息づいているのを実感しました。

長文レポにお付き合いいただき、ありがとうございました。
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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