Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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綾瀬と南千住(南千住編)

綾瀬と南千住(綾瀬編)からの続きです。

常磐線の沿線のある街にに母方の親戚が住んでいるので、子供の頃は母に連れられ、常磐線にたびたび乗りましたが、常磐線沿線の綾瀬と南千住に降りたのは今回が初めてです。
南千住は駅の東側が再開発中で超高層マンションがいくつも建っていましたが、西側は昔ながらの住宅街です。
今回の目的の荒川ふるさと文化館も円通寺も駅の西側にあります。
南千住の幕末ゆかりの地

まず、南千住駅のすぐ近くにある小塚原回向院にお参りしました。
小塚原回向院は小塚原の刑場で処刑された人たちの菩提を弔うために創建されたお寺です。
ここには幕末の志士たちが数多く眠っています。
松陰先生もここで眠っておられました。
文久3年に高杉晋作ら松陰先生の門人によって、後の松陰神社になる場所に改葬されたので、ここには埋まっていませんが、墓石は残っています。
志士の墓で特に目立つのは、橋本左内のお墓です。
墓が覆堂で守られ、傍らには顕彰碑が立っています。
4月に橋本左内が学んだ適塾に行き、近年発見されたという彼が書いた手紙を見たので、適塾で学んだ人が安政の大獄で処刑されて、ここに埋葬されているのか…としんみりした気持ちになりました。
松陰先生のお墓にも、橋本左内のお墓にも手を合わせたのは言うまでもありません。
でも、橋本左内の顕彰碑は表面があちこち剥離している上、鉄骨で支えられていました。
幕末維新人のお墓参りをするようになって、あちこちで顕彰碑を見てきましたが、割と名の知れた人の顕彰碑でこんなに状態が悪いのは初めて見ました。
橋本左内の顕彰碑

江戸時代から明治時代にかけて小塚原刑場で処刑され、埋葬された人の数は20万人を越えるそうです。
そのためか、肩に何やらずしりと重みがかかってくるのを感じました。
日が十分高いうちにお参りし、霊感が全くないわたしですら、そのように感じたので、霊感の強い人はとてもここにお参りできないと思います。
墓地に隣接する家に住んでいる人もいますが(橋本左内の顕彰碑の写真参照)、わたしは数え切れないほど多くの人々の怨念が未だに漂っているような一帯には住みたくありません。

小塚原回向院で重くなった気持ちを振り払って、次の目的地に向かいました。
その前に、幕末とは関係ありませんが、素盞雄(スサノオ)神社にお参りしました。
鎮座して1200年以上経つ、大変歴史のある神社だそうです。
境内では蝉がうるさいほどに鳴いていましたが、それでも神社の外とは違った清々しい空気を感じました。
神社にお参りすると、何だかホッとしました。
素盞雄神社の社殿

実はこの神社を知ったきっかけは、破天荒な警官が主人公の超長寿マンガです(笑)
随分前ですが、主人公がこの神社のお祭り(天王祭)で大神輿を担ぐ話がありました。
神輿を地面すれすれまで左右交互に倒し振り合う豪快な担ぎ方をするそうです。
結構印象に残った話だったので、その舞台になった神社に初めてお参りできて、ちょっと感慨深かったです。

今回の史跡巡りの目的の一つ、荒川ふるさと文化館は素盞雄神社の裏側にあります。
前回の記事に書きましたが、ここで9月9日まで『彰義隊とあらかわの幕末』という企画展が開かれています。
この企画展には「吉村昭氏追悼」の副題がついています。
昨年7月に逝去された荒川区日暮里出身の作家、吉村昭氏を偲ぶ企画でもあり、吉村氏に関する展示がありました。
吉村氏は幕末を題材にした小説を数多く著していて、その中でずばり『彰義隊』という小説がクローズアップされていました。
『彰義隊』は奥羽越列藩同盟の盟主に担がれた輪王寺宮(後の北白川宮)が主人公だそうです。
波瀾の生涯を送った宮さまにちょっと関心があるので、この『彰義隊』を読んでみたくなりました。
(わたしは吉村氏の作品では高松凌雲が主人公の『夜明けの雷鳴』しか読んでいないので…^^;)、

江戸時代、現在の荒川区にあたる地域は東叡山寛永寺の寺領だったそうです。
慶応4年5月15日の上野戦争において、彰義隊と輪王寺宮は寛永寺の北側にあたるこの地域を敗走しました。
それゆえ、荒川区の各地に落ち延びてゆく彰義隊にまつわる伝承が色々と残されていて、今回の企画展で荒川区の地域ごとに伝承が紹介されていました。
わたしの幕末史跡巡りのバイブル『幕末歴史散歩 東京篇』にも都内のあちこちに残っている彰義隊の墓や慰霊碑が紹介されています。
幕末は決して遠い昔ではない、と改めて思わずにはいられません。

企画展は史料中心の展示でした。
炎天下を歩いて、暑さで頭がとろけていたので(汗)古文書はざっと見るのがやっとでした。
なので、ビジュアルを強調した史料を主に見ました。
上野戦争の様子を描いた絵(主に錦絵)が何枚もありました。
箱館戦争でも言えますが、錦絵で描かれた戦争図はあまり実際の状況に即して描かれていないと思います。
そんな錦絵の中で、人物は浮世絵タッチでも背後で大砲の弾が爆発する様子が妙にリアルに描かれているものが印象に残りました。
また、上野の山の彰義隊の墓の近くにあるレリーフの原画(「彰義隊奮戦之図」)もありました。この絵はとてもリアルに描かれています。

それから明治43年(1910年)発行の『彰義隊戦史』という本が目を引きました。
表紙に「榎本武揚君題辞/大鳥圭介題詩」とあったからです。
この時点では榎本さんはお亡くなりになっていて、大鳥さんも翌年逝去されますが、この本の原稿自体は明治37年に完成していたそうなので、その頃に榎本さんと大鳥さんは一筆寄せたんでしょうね。

この企画展の図録は非常にコストパフォーマンスが高いです。
展示史料(資料)・説明文がすべて網羅されていながら、価格250円です。
幕末にハマる以前から、あちこちの展覧会で図録を買っていましたが、この価格でこれほど内容が充実した図録は初めて見ました。
この図録には円通寺の旧幕臣追悼碑一覧が収録されています。
円通寺の追悼碑エリアの見取り図、碑の銘文が碑の写真入りで載っています。
企画展の会場でパネル展示されていた、追悼碑エリアの見取り図を見て、円通寺にお参りするにあたって、この図が手元にあれば便利だろうに…(でも、展示は撮影禁止)と思ったので、図録に追悼碑一覧が載っていたのはとても大助かりでした。
後で円通寺に行った時に見たのは言うまでもありません。

企画展だけでなく、常設展も見ました。
荒川を挟んで栄えた千住宿の復元模型や、昭和41年頃の荒川区内の街並みが再現されていたりと、荒川区の住民でなくても楽しめる展示が多く、観覧料100円にしては見ごたえがありました。
幕末にハマってから、東京都内の郷土資料館をあちこち見ましたが、荒川ふるさと文化館はコスパが高いです。(その点、世○谷区は全然ダメ(ーー;)

それから、今回の最終目的地、円通寺に行きました。
日光街道に面し、荒川ふるさと文化館から徒歩10分ほどです。
お寺の正面から、塔の中に金ぴかの仏様が立っている本堂が見えます。(ハッキリ言って、この本堂は趣味悪すぎ…)

円通寺はわたしが説明するまでもありませんが、明治時代、彰義隊をはじめとする旧幕軍の戦死者を堂々と供養することが出来た唯一のお寺です。
また、上野の寛永寺の「黒門」が移築されています。
寺門を入って、向かって左側に追悼碑エリア、これを守るように黒門が立っています。
黒門には今でもあちこち上野戦争当時の弾痕が残っていました。
かつてはもっと朽ちていて、修理されたそうですが、それでも戦闘の激しさを感じることはできました。
寛永寺黒門の弾痕


追悼碑エリアには彰義隊の戦死者のお墓、旧幕臣─チーム箱館の皆さんの追悼碑がいくつも立っていました。
わたしが馴染みのある方の名前を挙げると(敬称略・順不同)
榎本武揚・荒井郁之助・大鳥圭介・松平太郎・澤太郎左衛門・高松凌雲・永井尚志親子・(幕臣ではありませんが)新門辰五郎。
この人たちは個別に碑が立っています。これだけ知っている人たちの碑がそれほど広くない場所に一同に会しているのは、佐幕派には圧巻でした。
下の画像は右から榎本さん、凌雲先生、荒井さんの追悼碑です。
(逆光のため見えづらく申し訳ありません)
円通寺の旧幕臣追悼碑(榎本さん・凌雲先生・荒井さん)

また「死節之墓」という戊辰戦争における旧幕軍の戦死者のお墓には、近藤勇・土方歳三・甲賀源吾・中島三郎助・伊庭八郎(敬称略)の名前が刻まれています。(墓碑銘の画像はこちら
旧幕臣の碑はあくまで追悼碑で、お墓は別にあるはずですが、マツタロ(松平太郎)さんの碑は『松平太郎君之墓』になっていました。
また、澤さんの碑は『澤太郎左衛門君紀年之松碑』というものですが、記念樹の松はありませんでした。
でも、明治40年代に描かれた円通寺の境内の絵には、澤さんの松は描かれていました。
今の追悼碑エリアは、夏場ということもあって草ぼうぼうで、わたしは足がむき出しのスカートで行ってしまったので、見事に蚊に刺されてしまいました。
『彰義隊とあらかわの幕末』に合わせて、この時期に円通寺にお参りされる方は虫除けスプレーは必須です。

余談ですが…荒川ふるさと文化館で、歴史ファンらしい男性グループ(推定年齢20~30代)を見かけました。
男性同士でこういうところに行くんだと思っていたら、円通寺でもこの人たちに遭遇しました(笑)
もっとも、わたしは追悼碑エリアをお参りした後だったので、その場に居合わせることはありませんでした。

またまた、書いていくうちに長くなってしまいました。
綾瀬より南千住の方が密度の濃い場所だった、ということです。
機会があれば、旧幕臣ファンの方々と円通寺を再訪したいです。

今月末には横浜の幕末(というより開国系)史跡巡りをする予定なので(ついでに横浜のホテルでプチバカンス(笑)、気力があればレポをアップしたいです。
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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