Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • [No Tag]

小栗まつり(その1)

東善寺境内の小栗上野介の胸像
小栗上野介忠順の菩提寺、東善寺で開催された「小栗まつり」に行ってきました。
上の画像は境内の小栗さんの胸像です。後ろの紅白の幕が祭りの雰囲気を醸し出しています。
日帰りで行くにはかなり遠かったですが、行った甲斐のあった催しでした。
(例によってケータイからの投稿です)

この先はPCからの投稿です。

東善寺には昨年の4月末に行きましたが、その時のレポが未完のまま1年が過ぎてしまったので(大汗)、昨年の分も含めて小栗まつりについて、少々気合を入れて書きます。
わたしが小栗さんに興味を持つようになったきっかけをこちらに書いていますので、一読していただけると幸いです。(実は去年のレポの前半です^^;)

東善寺は上州群馬郡権田村、現在の群馬県高崎市倉渕町権田にあります。
小栗さんは慶応4年1月に勘定奉行をはじめすべての役職を罷免された後、小栗家が関東に所有していた知行地(2700石)のうち、もっとも僻地にある権田村に隠棲し、東善寺に仮住まいしました。
しかし、小栗さんは慶応4年閏4月6日に家臣と共に、権田村を流れる烏川(からすがわ)の河原で西軍(官軍)により、何の取調べもなく斬首されてしまいます(涙)
そして、小栗さんは高崎城で斬首された養嗣子の又一と共に、東善寺の境内に葬られました。

小栗まつりは小栗さんの命日(陽暦ベースで5月27日)の直前の日曜日に毎年行われています。
慰霊祭がメインですが、過去には講演が行われたり、地元の人による昼市もあります。
昨年は4月末に東善寺に行ったばかりだったので、小栗まつりには行きませんでしたが、今年は思い切って行ってみることにしました。

でも、武州多摩郡の東から権田に行くには、かなり時間がかかりました。
JR新宿駅から湘南新宿ライナーに乗って、終点の高崎駅まで約2時間、更に高崎駅前から権田方面の路線バスに乗って、東善寺の最寄のバス停まで約1時間です。
自宅から権田までただ行って帰るのはもったいないと思ったので、高崎市内を少し散策することにしました。

権田行きの拠点の高崎は、江戸時代は中山道の宿場町(高崎宿)として上州の交通の要衝として栄え、譜代の大名が治める高崎藩の城下町でした。
今も高崎で上越方面と信越方面の道路・鉄道が分岐し、群馬県の商都として群馬県を代表する街の一つです。
歳さんを含めた浪士組が上洛する際に中山道を通っていますが、高崎は残念ながら素通りです。
高崎市からは赤城山・榛名山・妙義山の上毛三山を望み、利根川と支流の烏川が流れています。
権田は烏川の上流、榛名山の中腹の山間にあります。

高崎駅から10分ぐらい歩くと、高崎城址公園があります。
城址公園には高崎城の東門と乾櫓が建っています。
高崎城の東門と乾櫓

どちらも、元からこの場所にあったものではなく、明治になってから高崎市内の農家に払い下げられたのが、昭和50年代に移築復元されたものです。櫓は何と納屋として使われていたそうです(苦笑)
高崎城で現存しているのは上記の建物とお堀の一部だけで、明治になってから城址は陸軍の聯隊の駐屯地になり、今は市役所や美術館、そして群馬音楽センターが建っています。

高崎には何度となく行っていますが、高崎城址をまともに見学したのは今回が初めてです。
小栗さんに興味を持つきっかけにも書きましたが、わたしの父は高崎市出身で、父方の祖母は現在も高崎市内に住んでいます。
子供の頃は正月やお盆の時期になると、高崎に行ってましたが、大人になってからは法事などで数年に一回行くぐらいでした。
そんなわたしが歴史散策が目的で高崎に足を運ぶことになろうとは、我ながら驚きです。

城址公園の近くの広場に出ていたフリーマーケットをぐるりと見てまわってから、高崎駅前から室田経由「権田車庫」行きの群馬バスに乗りました。東善寺は終点から2つ手前の「権田寺前」下車です。
道中はそれなりに人の乗り降りがあって、室田で10分ほどバスが休憩したので、高崎から権田まで1時間ちょっとかかりましたが、自家用車だったら1時間弱で着くでしょう。
ただし、徒歩なら多分1日がかりです。
高崎から権田に通じる国道406号(榛名フルーツライン)沿いには、梨や桃、プラムの果樹園が広がっていて、収穫の時期になると直営店が店開きします。
夏から秋にかけて、自家用車で東善寺に行かれる人は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

バス停を降りると、山の中腹にある東善寺が見えました。
バス停の程近くを烏川が流れています。
烏川は少々護岸工事はされていますが、川沿いの風景は小栗さんがいらした頃とそれほど変わりはないのではと思うほどのどかでした。

少々話はずれますが『またも辞めたか亭主殿』で小栗さんを演じた岸谷五朗さんはじめ出演者の皆さんは「権田」を「んだ」(「ご」に強勢)と発音していましたが、上州人の父、祖母、そして叔母(父の妹)は「ごだ」(「ん」に強勢)と発音していました。
なので、権田村出身の小栗家の家臣も「ごだ」と発音していたと思われます(笑)

東善寺の境内に入ると、地元の人による昼市が開かれていました。
昼近くになって、お腹がすいていたので早速、手打ちそばを食べました(笑)
お寺の近くには食事処が全然ないので(少なくとも徒歩圏にはありまません)、境内に食べ物の店が色々と出ていたのには本当に助かりました。

小栗さん親子の墓前での法要が始まるまで時間に余裕があったので、あちこち見てまわりました。
まずは、小栗さんの本墓にお参りしました。

東善寺には小栗さんのお墓が二種類あります。
境内にある供養墓と、裏山にある本墓です。
供養墓は小栗さんが斬首された直後に、小栗さんと家臣たちの供養と墓石を建立するようにと、西軍が権田村に置いていった弔慰金を元に建てられたものです。
この墓の傍には、小栗さんが江戸の屋敷から持ってきた椿の木が植えられ(崑崙黒・こんろんこくという品種だそうです)、春になると黒味のかかった赤い花を咲かせます。
小栗まつりの頃には花は咲き終わっていますが、去年の4月末に東善寺を訪れた時には見事に咲き誇っていました。
その写真をこちらにアップします。(お墓が写っています)
椿の木の下の二つのお墓は小栗さん親子、手前の墓は家臣たちのお墓です。

本墓は供養墓の裏手の山の上にあります。
こちらに小栗さん親子の遺体と首が葬られています。
小栗さんの親子の斬首後、首は東山道鎮撫総督の岩倉具定(岩倉具視の息子)のいる上州館林に送られました。
首実検後、首は館林のあるお寺に葬られましたが、後に権田村の村人が密かに掘り出し、遺体と共に東善寺の裏山に葬られました。
しかし、このことは長年(90年以上)公にされなかったそうです。

今では本墓にもお参りできます。
ただ、緑深い山の上の方にあり、道中は山道なので、ヒールのある靴で行くのは少々厳しいです。
わたしは去年も今回も、ヒールのある靴で東善寺に行ってしまったので、本墓にたどり着くまで少々難儀しました(苦笑)
去年は小栗さんについて漠然としか知らない状態でお墓参りしましたが、今年は「貴方について色々と知るにつれて、ますますファンになりました」と墓前に手を合わせました。

その後は遺品館を見学しました。
普段は拝観料を取られますが、小栗まつりの時は無料でした。
こちらでは小栗さんやゆかりの人々の遺品が展示されています。
もっとも江戸から運んできた小栗家の家財道具は(小栗さんがアメリカで購入したものも)、小栗さんの処刑後、西軍が高崎や安中の商人経由で売り飛ばしてしまったそうなので(泣)、遺品館に展示されているのは小栗さんが権田村の人々や家臣に下賜したものがほとんどです。
仏蘭西かぶれのわたしには、フランス製のリボルバー(短銃)及びホルスター(拳銃入れ)、フランス公使のレオン・ロッシュからプレゼントされた望遠鏡(革のケース付)がツボでした。
また小栗さんの裃の肩衣が展示されていました。柄は小紋です。
汗じみも残っていて(汗)、小栗さんが実際に着用したのを実感できました。(でも、普通のハンガーにかけて展示するのはやめてほしいかも^^;)

それから、東善寺から歩いて5分くらいのところにある倉渕中央小学校の体育館で開かれている企画展を見に行きました。
小栗さんの生涯を写真パネルで紹介した、小栗さんを知らない一般人向けの展示でしたが、これまで写真ですら見たことがなかった「小栗日記」を見ることができたのがうれしかったです。

「小栗日記」は慶応3年正月から慶応4年閏4月(小栗さんが斬首される4日前)まで小栗さん自身が書いた日記です。
これとは別に、小栗さん自身が書き記した小栗家の家計簿も残っているそうですが、日記も家計簿も翻刻されていないようです。
日記からは書き手の生きた時代の空気がリアルに感じられるので(幕末の多摩の人々の日記を色々と読んで実感)、小栗さんの日記もぜひ翻刻されてほしいです。

パネル展を見た後、東善寺に戻って境内の昼市に出店していた書店で上州でしか手に入らなさそうな小栗さん関連の本を買ったり、腹ごしらえをしているうちに、法要の時間が迫ってきたので、供養墓の前に行きました。
供養墓の前にはお線香を手にした人たちが大勢集まっていました。
約2週間前にお墓参りした方よりも、参拝者の年齢層は高かったです。(このわたしが若手って…^^;)
ご住職の読経の後、小栗さんと又一さんの供養墓に献香しました。
昨年参加した某法要でも感じましたが、大勢の人が参拝に訪れるとその分、墓前で手を合わせる時間が少なくなります。先に本墓にお参りしてよかったとつくづく思いました。

小栗まつり(その2)に続きます。
  • [No Tag]

*Comment

 

まやこさん
高崎ですよね!?精力的ですね~
レポ楽しみにしています。
  • ままこっち 
  • URL 
  • 2007年05月30日 23時31分 
  • [編集]

 

ままこっちさん、こんばんは。

小栗まつりの会場の東善寺は高崎より更に車で一時間のところにあって、ハッキリ言ってかなり山奥です。
それでもお寺にはかなり人が来てました。

今月は我ながらあちこち行ってるなと思います。
しかも、ちゃんとレポ書いてますし(笑)
小栗まつりのレポも途中まで書いたので、完結できるよう頑張ります。
  • まやこ 
  • URL 
  • 2007年05月31日 00時49分 
  • [編集]

コメントの投稿

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

*Trackback

トラックバックURL
http://regimenth.blog55.fc2.com/tb.php/124-8825689e

ご案内

プロフィール

まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

もし記事の内容に間違いを見つけましたら、鍵付コメントか下のメールフォームにてご指摘ください。
本文に全く関係のないコメント・トラバは見つけ次第即削除します。
WEB拍手のコメント返しは、拍手をいただいた記事につけます。

結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

ブログランキングに参加中!

↓一日一押しお願いします♪

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ

日々のつぶやき

最近の記事

月別アーカイブ

西暦をクリックすると、その年の月別リストが表示されます。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。