Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─

台湾・高雄市から土方歳三と榎本武揚を想いつつ、幕末と江戸時代ににまつわる話題を書いています。

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局長の故郷にサイクリング

自宅から一番近い新選組ゆかりの地、近藤勇の故郷、調布&三鷹市に自転車で行ってきました。
行ったのは順に、勇さんのお墓のある龍源寺、勇さんの生家跡、天然理心流道場「撥雲館」、そして深大寺です。
今日はからりと晴れ上がって絶好のサイクリング日和でした。
家から龍源寺まで自転車で45分くらいで行けました。
ここも含めて、今日行った場所はすべて電車(JR中央線、京王線)の駅から離れているので、公共の交通機関を使う場合は電車とバスを乗り継がないと行けません。
自宅から電車とバスで乗り継いで行くと遠回りになってしまいますが、自転車だとほぼ最短距離で行けます。東八道路を自転車で飛ばし、三鷹市を東から西に横断しました。
東八道路から基督大学裏門の交差点で人見街道に入ると、急坂になりました。
急坂を下ると、野川に達します。この一帯(三鷹市北西)の野川沿いは「野川公園」になっていて、川べりに出来るだけ自然の状態になっている遊歩道ができています。
野川の川べりで新緑を眺めながら、お昼にしました。

それから、龍源寺に行きました。
龍源寺の門前には勇さんの胸像と、天然理心流の石碑が建っていました。
でも、特に新選組ゆかりの史跡と目印が出ていなかったので、局長のお墓があるところなのに、これではあんまりだ~と思いましたが、ちょっと考えたら石田寺でもここに歳さんのお墓があることは門前ではわからなかったよな…と思い直しました。
本堂の裏手にある墓地を入ってすぐのところに近藤家の墓所がありました。勇さんの墓には一番多く花が手向けられていて、さすが新選組局長!でした。
もちろん、わたしも勇さんの墓前に手を合わせました。
このお墓には近藤勇五郎(勇さんの甥で、後に勇さんの娘と結婚して、天然理心流5代目を継ぎます)が板橋の刑場で掘り起こしてきた、勇さんの遺体が葬られているそうです。
勇さんの墓は板橋や会津にもありますが、故郷の龍源寺のお墓こそ本当の意味での勇さんのお墓だと思います。
あまり広くない墓地を一回りして見ましたが、勇さんの実家の「宮川」家のお墓がいくつもありました。(石田寺における「土方」家のお墓ほどではありませんが)

人見街道を府中方面に少し自転車を走らせると、野川公園の正門の前に勇さんの生家跡があります。
勇さんの生家は、太平洋戦争中に近くの調布飛行場に離着陸する戦闘機の妨げになると、陸軍から命令されたため取り壊されてしまったので、現在は勇さんが産湯をつかった井戸が残るのみです。つつじの花が井戸の周りに咲き誇っていました。
でも、「誠 新選組局長 近藤勇 生誕の地 上石原」の幟(のぼり)がはためいるので存在感は抜群で、新選組ファンでなさそうな通りがかりの人が何人も(大河ドラマに合わせて設置されたとおぼしき)勇さんの生家の説明板を読んでいました。

人見街道を挟んで、勇さんの生家跡の斜め向かいに天然理心流の道場、撥雲館があります。
これは近藤勇五郎が立てた道場で、現在の建物は昭和初期のものです。
道場は天然理心流の門人の尽力により、戦時中も取り壊されずにすみました。
個人宅の敷地にあるので外観を見るだけでしたが、ここが天然理心流の門人の拠り所なのかと思いました。

細かい地域ネタですが、勇さんの生家の辺りが調布市と三鷹市の区界で、勇さんの生家と撥雲館は調布市(野水)に、龍源寺は三鷹市(大沢)にあります。
後世の行政区分でこうなったのかと思ったら、江戸時代から勇さんの生家は(新選組ファンならご周知の)多摩郡上石原村に、ほんの少し離れた龍源寺は多摩郡大沢村に属していたそうです。
つまり勇さんの生家は上石原村でも限りなく大沢村に近いところにあったようです。


野川公園でしばらく休憩してから、深大寺に向かいました。少々距離は離れていますが、自転車なのでフットワークが軽いです♪
深大寺は以前は親と一緒に自転車でよく行ってましたが、まさか新選組関連のもの目当てで行くことになろうとは思ってもみませんでした。

深大寺の元三大師堂に明治40年に日露戦争に出征した、天然理心流(近藤勇五郎)の門人のために奉納された奉納額があります。
元三大師堂は深大寺に行く度にお参りしてきましたが、ここに新選組(というより天然理心流)ゆかりのものがあるのは最近になって知りました。
母は年に数回、深大寺に行っていますがが、わたしに言われるまで奉納額に気づかなかったそうです。(元三大師堂の前に奉納額についての立て札があるのに!)興味がないとはこういうものですね…
ここの奉納額は以前、日野の新選組のふるさと歴史館で見た奉納額より倍以上は大きいです。
奉納額に名前の記された門人は皆、無事に戦地から帰還できたのでしょうか…?
天然理心流5代目が深大寺に奉納額を奉納したということは、4代目(つまり勇さん)も深大寺にお参りに来ていたかもしれませんね。

境内にある深大寺名物のナンジャモンジャの木には白い花がたくさん咲いていました。
年に何度も深大寺に行く母もナンジャモンジャに花が咲いているのを見たことはないそうで、見られて良かったです。

深大寺の門前は深大寺そばのお店やお土産屋が立ち並んでいます。久しぶりに門前町を散策して、そのうちの一軒でお茶しました。
深大寺の門前町の方が高幡不動より風情のある店が多いように思いました。(池があったり、水車が回っている店もあります)
そして、帰路につきました。
新選組に興味を持つ前から、勇さんの故郷は自宅から自転車で行ける距離だとわかっていましたが、実際に自転車で巡ってみて、勇さんが歳さんとは違った意味で身近に感じられるようになりました。


後日、古本屋で中公新書の「新選組 『最後の武士』の実像」という本を入手しました。
この本に勇さんが出稽古に行った多摩の村の名前がいくつか挙げられていて、その中にわたしの地元がありました!
わたしは甲州街道沿いのある町に住んでいますが、宿場町でないので、これまで読んできた新選組関連の本で地元の町(江戸時代は村)の名前を見たことがありませんでした。
勇さんや歳さんをはじめとする、試衛館から多摩に出稽古に行っていた面々は何度となく甲州街道沿いのわたしの地元を通ったでしょうが、きっと素通りしただけだろうな…と思っていたので、地元に勇さんが出稽古に行っていたことがわかって、とてもうれしいです秊
歳さんもわたしの地元に出稽古に来たことがあるんだろうか…?と夢想してしまいます。
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まやこ

Author:まやこ
2月27日生まれのうお座・AB型

舞台や展覧会を観るのが好きで、仏蘭西と西洋史をこよなく愛する歴女です。(や○い・BLは好きではないので、腐女子ではないようです(笑)

2006年の元旦に「新選組!!土方歳三最期の一日」を見たのがきっかけで新選組副長、土方歳三のファンになり、幕末の世界に足を踏み入れ、全身どっぷり漬かっています。
土方歳三だけでなく、榎本釜次郎武揚、小栗上野介忠順、中島三郎助も贔屓にしています。
彼らの足跡を追って、山の奥や海の彼方にも行きました。

ブログのタイトルは仏蘭西語です。意味と由来はこちらをご覧ください。

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結婚に伴い、長年住んでいた武州多摩郡某村(甲州道中沿い)から武州久良岐郡(横浜市南部)に引っ越したが、2014年6月に夫の仕事の都合で台湾南部の高雄市に住むことになりました。

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