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2006年04月30日 [日]
上州幕末紀行〜小栗上野介の隠棲先を訪ねて(其ノ一)
今日、「黒龍の柩」に登場し、わたしが興味を持っている旧幕臣の一人、小栗上野介忠順の菩提寺、東善寺まで行ってきました。
場所は上州群馬郡権田村、現在の群馬県高崎市倉渕町権田です。
これまでに行った幕末関連スポットの中で、一番僻地でした。
わたしが小栗上野介忠順に出会ったのは、初めて読んだ新選組小説「黒龍の柩」でした。
この小説を読んだ時は、全くの新選組及び幕末初心者だったので、今思えばディープなファンよりも素直に読むことができました。
この小説では小栗さんは隠棲していると見せかけて、歳さんも関わった壮大な計画の一端を担っていました。
実家の父が上州こと現在の群馬県(高崎市)の出身ゆえ、小栗さんの隠棲先の上州権田村がどこなのか気になりました。
でも、この時は「日本史上にこんなにカッコいい人がいたのか〜!」と歳さんの魅力の虜になったので、小栗さんと上州権田村について調べるまで至りませんでした。
それから、新選組だけでなく戊辰戦争も含めた歳さんをめぐる世界にすっかりハマった上、元々フランスびいきのわたしはフランス軍事顧問団の存在がとても気になりだし、ジュール・ブリュネについての情報を求めて海外サイトを検索してみました。
検索の結果は芳しくありませんでしたが、日本の幕末を扱ったフランス語のサイト(が存在するんです)から日本のサイトにリンクが張られていたので、飛んでみました。
それが小栗さんの菩提寺、東善寺のホームページでした。
そこでお寺の住所を見たら「群馬県高崎市倉渕町権田」となっていて、更にお寺の地図に「室田」という地名が載っていたので、驚いてしまいました。
高崎市は先程も書いた通り父の故郷で、室田は高崎駅から父の実家に行く時に乗るバスの終点ゆえ、わたしには馴染み深い地名です。
また、高崎駅から室田経由のバスで権田に行けることもわかりました。
「つる舞う形の群馬県」(by上毛かるた)はいささか広いですが、権田が高崎から行ける場所にあると知り、権田に隠棲した小栗上野介について俄然興味を持ちました。
それで、東善寺のサイトの小栗さんに関するページを読んでみました。
東善寺は小栗上野介の菩提寺というだけでなく、権田村に隠棲後に仮住まいしていた、小栗さんと大変縁の深いお寺です。
それゆえ、ここに小栗上野介の情報が集約されていると言っても過言ではありません。
わたしが佐幕派になったのは幕末の徳川幕府がフランス寄りだったのが一因ですが、お寺のサイトを見て小栗さんが親仏派の幕臣だったと知り、また驚いてしまいました。(すみません、無知で…(汗)
「黒龍の柩」では小栗さんが親仏派だったことには触れられず、上州権田村に隠棲したということで興味を持ったので、小栗さんがフランスにつながる人とは思わなかったのです。
崩壊寸前の幕府を支え、日本近代化の道を開いた小栗上野介の最大の功績は横須賀造船所の建設ですが、わたしのツボをついたのは幕府の洋式陸軍を近代化し強化するために、フランスから軍事顧問団を招聘したことです。
この軍事顧問団の中にブリュネがいて、軍事顧問団が伝習(調練)した兵を束ねていたのが、かの大鳥圭介です。
後に大鳥さんはこの伝習兵を率いて江戸を脱走します。(そして鴻ノ台で歳さんと合流するわけです)
また、横須賀造船所の建設に際してもフランスから技術者を招聘しましたが、多くのフランス人を招聘するからにはフランス人とコミュニケートを取れる(フランス語を話せる)日本人の育成が必要、ということで、小栗さんは横浜に日本初のフランス語学校(横浜仏蘭西語伝習所)を開設しました。
かつて、大学でフランス語を学んでいたわたしは、日本におけるフランス語学習のルーツがここにあったのか…としみじみとしました。
ちなみに、横浜のフランス語伝習所は後に修築されて医学所(病院)になり、鳥羽・伏見の戦いの後に江戸に帰還した新選組の負傷兵がここに収容されました。
でも、小栗さんの最期を知った時は胸が詰まりました。
何しろ彼は隠棲先の権田村まで押しかけた西軍によって、権田村を流れる烏川のほとりで家臣と共に斬首されてしまったのですから…
近藤勇も斬首されましたが、勇さんは一応は取り調べを受けています。
でも、小栗さんの場合は何の取調べもなかったそうです。
二千七百石取りの大身の旗本、幕臣の最期にしてはあまりにも無残すぎます。
幕末の動乱とはあまり縁がないと(勝手に)思っていた上州で、このような出来事があったとは…機会があったらぜひ東善寺を訪れたくなりました。
現在、高崎には父方の祖母が住んでいます。
折りしも6月の末に高崎に親戚一同が集まって祖母の誕生日祝いをすることが決まり、数年ぶりに高崎に行くことになったので、その時に上州在住の父方の従妹に車を出してもらって、権田に行こうと目論みました。
ところが、今月半ばに祖母が交通事故に遭ってしまい、入院してしまったのです。
祖母は幸いにも命に別状はありませんでしたが、誕生日祝いは当然延期になりました。
でも、祖母を見舞うために当初の予定より早く高崎に行くことになりました。
お見舞いと言っても祖母に少し顔を見せればいいとのことだったので、これならお見舞いの後に権田に行っても大丈夫そうと思い、一緒にお見舞いに行く母に了承をもらいました。
そして、久しぶりに高崎に行くことに相成りました。
※上州幕末紀行〜小栗上野介の隠棲先を訪ねて(其ノ二)に続きます
場所は上州群馬郡権田村、現在の群馬県高崎市倉渕町権田です。
これまでに行った幕末関連スポットの中で、一番僻地でした。
わたしが小栗上野介忠順に出会ったのは、初めて読んだ新選組小説「黒龍の柩」でした。
この小説を読んだ時は、全くの新選組及び幕末初心者だったので、今思えばディープなファンよりも素直に読むことができました。
この小説では小栗さんは隠棲していると見せかけて、歳さんも関わった壮大な計画の一端を担っていました。
実家の父が上州こと現在の群馬県(高崎市)の出身ゆえ、小栗さんの隠棲先の上州権田村がどこなのか気になりました。
でも、この時は「日本史上にこんなにカッコいい人がいたのか〜!」と歳さんの魅力の虜になったので、小栗さんと上州権田村について調べるまで至りませんでした。
それから、新選組だけでなく戊辰戦争も含めた歳さんをめぐる世界にすっかりハマった上、元々フランスびいきのわたしはフランス軍事顧問団の存在がとても気になりだし、ジュール・ブリュネについての情報を求めて海外サイトを検索してみました。
検索の結果は芳しくありませんでしたが、日本の幕末を扱ったフランス語のサイト(が存在するんです)から日本のサイトにリンクが張られていたので、飛んでみました。
それが小栗さんの菩提寺、東善寺のホームページでした。
そこでお寺の住所を見たら「群馬県高崎市倉渕町権田」となっていて、更にお寺の地図に「室田」という地名が載っていたので、驚いてしまいました。
高崎市は先程も書いた通り父の故郷で、室田は高崎駅から父の実家に行く時に乗るバスの終点ゆえ、わたしには馴染み深い地名です。
また、高崎駅から室田経由のバスで権田に行けることもわかりました。
「つる舞う形の群馬県」(by上毛かるた)はいささか広いですが、権田が高崎から行ける場所にあると知り、権田に隠棲した小栗上野介について俄然興味を持ちました。
それで、東善寺のサイトの小栗さんに関するページを読んでみました。
東善寺は小栗上野介の菩提寺というだけでなく、権田村に隠棲後に仮住まいしていた、小栗さんと大変縁の深いお寺です。
それゆえ、ここに小栗上野介の情報が集約されていると言っても過言ではありません。
わたしが佐幕派になったのは幕末の徳川幕府がフランス寄りだったのが一因ですが、お寺のサイトを見て小栗さんが親仏派の幕臣だったと知り、また驚いてしまいました。(すみません、無知で…(汗)
「黒龍の柩」では小栗さんが親仏派だったことには触れられず、上州権田村に隠棲したということで興味を持ったので、小栗さんがフランスにつながる人とは思わなかったのです。
崩壊寸前の幕府を支え、日本近代化の道を開いた小栗上野介の最大の功績は横須賀造船所の建設ですが、わたしのツボをついたのは幕府の洋式陸軍を近代化し強化するために、フランスから軍事顧問団を招聘したことです。
この軍事顧問団の中にブリュネがいて、軍事顧問団が伝習(調練)した兵を束ねていたのが、かの大鳥圭介です。
後に大鳥さんはこの伝習兵を率いて江戸を脱走します。(そして鴻ノ台で歳さんと合流するわけです)
また、横須賀造船所の建設に際してもフランスから技術者を招聘しましたが、多くのフランス人を招聘するからにはフランス人とコミュニケートを取れる(フランス語を話せる)日本人の育成が必要、ということで、小栗さんは横浜に日本初のフランス語学校(横浜仏蘭西語伝習所)を開設しました。
かつて、大学でフランス語を学んでいたわたしは、日本におけるフランス語学習のルーツがここにあったのか…としみじみとしました。
ちなみに、横浜のフランス語伝習所は後に修築されて医学所(病院)になり、鳥羽・伏見の戦いの後に江戸に帰還した新選組の負傷兵がここに収容されました。
でも、小栗さんの最期を知った時は胸が詰まりました。
何しろ彼は隠棲先の権田村まで押しかけた西軍によって、権田村を流れる烏川のほとりで家臣と共に斬首されてしまったのですから…
近藤勇も斬首されましたが、勇さんは一応は取り調べを受けています。
でも、小栗さんの場合は何の取調べもなかったそうです。
二千七百石取りの大身の旗本、幕臣の最期にしてはあまりにも無残すぎます。
幕末の動乱とはあまり縁がないと(勝手に)思っていた上州で、このような出来事があったとは…機会があったらぜひ東善寺を訪れたくなりました。
現在、高崎には父方の祖母が住んでいます。
折りしも6月の末に高崎に親戚一同が集まって祖母の誕生日祝いをすることが決まり、数年ぶりに高崎に行くことになったので、その時に上州在住の父方の従妹に車を出してもらって、権田に行こうと目論みました。
ところが、今月半ばに祖母が交通事故に遭ってしまい、入院してしまったのです。
祖母は幸いにも命に別状はありませんでしたが、誕生日祝いは当然延期になりました。
でも、祖母を見舞うために当初の予定より早く高崎に行くことになりました。
お見舞いと言っても祖母に少し顔を見せればいいとのことだったので、これならお見舞いの後に権田に行っても大丈夫そうと思い、一緒にお見舞いに行く母に了承をもらいました。
そして、久しぶりに高崎に行くことに相成りました。
※上州幕末紀行〜小栗上野介の隠棲先を訪ねて(其ノ二)に続きます
- 23時56分
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